クリスマスの歌姫

さく: ねこぽん

 目を覚ますと、1時間10分寝過ごしていた。

 なにせ昨日、結局徹夜同然だったからなあ。鬼のような宿題攻勢で、書き物だけで時間を食いすぎた。12月も半ばだというのに、まさに「べりーくるしみます」だ。

 今日はあずさがオーディションに出るというので、それを見に行こうとしている。クリスマスの聖歌を、修道院の大聖堂で歌う人を選ぶのだという。会場につくころには、もうオーディションは始まっているだろう。あずさの出番はまだまだ先だが、間に合うかどうかはぎりぎりか。……どうすっかな。

 一階に降りると、姉貴がいた。
「あれ? 幸仁、もう出かけたんじゃなかったの? 今日あずさのオーディションでしょ」
「あ、ああ……」
俺が曖昧に返事をすると、
「寝過ごしたの? しょうがないなあ。とりあえず、パンでもかじって、とっとと行きなさい。ほら」
そういいながら、姉貴が食パンを差し出してくれた。
「……」
「ん? どうしたの」
俺の逡巡を気づかれたか、姉貴が俺をのぞき込む。
「ほら、早く行かないと」
「……どうしようか」
追い詰められた俺は、思わずつぶやいていたらしい。
「どうしようかって……あんた、今日はだいじなあずさのオーディションじゃないの。これに合格したら、あの娘、いよいよ聖堂で歌えるんでしょ?」
そんなことはわかってる。あいつは合格できる実力の持ち主だ。俺のひいき目だけでなく、誰もが認める力の持ち主。
「そんな大事なときに、あんたがいなくて」
「俺がいなくて?」
……俺がいなくても、なんとかなるんじゃないか?

「幸仁」
姉貴がむっとした。語気に怒気が含まれる。
「いいから行ってきなさい。ほら、あんたの部屋掃除するからっ」
「いや、だから……」
「行けばわかるって。行かないと蹴飛ばすぞ」
「は。はいはい」
こうなったときの姉貴は怖い。俺は取るものもとりあえず、外に出ることにした。

「ほう……」
冬の凛とした寒さが、一気に体にしみる。吐く息が白い。
「行けばわかる、か……」
姉貴のことばが頭をよぎる。
……あずさ、どうしてるかな。とにかく、行ってみよう。大遅刻だけど。

 会場は大聖堂をもつ修道院。本番と同じ場所である。前の人の歌唱が終わったところで、そっと潜り込む。席はもうほとんど埋まっていた。前の方が少しだけ空いていたので、そこへこっそりと座る。なにせ静かな会場だ。ちょっとした音でもすぐに響いてしまう。

 空いていた席は、ちょうど袖にあたるところだった。
「……あ」
ふと目をあげると、あずさが袖にいた。こちらには気づいていないらしい。今日はいつもと違って、先生が近くにおらず、ひとりのようだ。

 ……あずさの緊張感が、なんとなくわかる。背中しか見えないが、ふるえているような気がする。それにいつもより、背中が丸い。何か手を合わせて祈っているようにも見える。

「……おっと」
気がついたら、次の受験者が歌唱を始めているじゃないか。入場料はただじゃないんだし、ちゃんと聞こうか。

 ……ぱちぱちぱち。さすがに聖堂での歌唱という栄誉を受けようという人だ、それなりの実力はもっている。黙っていても、拍手がおこる。だが、時間とコーディネータは容赦がない。
「……次の方」
その声を合図に、あずさが壇に登った。いつものTシャツにジーンズではなく、白いワンピースに身を包んだあずさが、そこにいた。そして、指揮者の手振りを合図に、歌い始めた。

「Ave Maria……」

 ……最初の一声で、会場は水を打ったように静まり返る。いや、いままで騒々しかったというわけではない。あらゆる聴衆を引き込んでしまう、その印象。裕福な声量に裏打ちされた、贅沢ささえ感じさせる、その表現力。誰もがあずさの声に圧倒されているのだ。

 それは俺も、そして会場の誰もが例外ではなかった。あずさが歌い終わってもしばらくは、誰もが動けずにいた。あずさが軽く頭を下げ、袖に帰っていくと、拍手の渦が、あずさを追いかける。
「なんだあいつ……やるじゃないか」
俺はあずさがその実力を出しきったことに安心した。袖にふるえていたあずさは、単なる緊張だったんだろう。よかった、とにかくよかった。これで、あいつは、オーディションに合格できるだろう。そう考えた俺は、会場を抜けることにした。

 冬の日差しが目にしみる。
「そうだなあ……祝いの一つも買ってやるか」
あずさの合格記念と洒落込もう、そう考えたのだが、つい茶目っ気を出してしまう。俺はまっすぐ薬屋へ向かうと、ハーブキャンディを1缶手にした。ちなみに、こいつは1缶1500円くらいする。ただの飴ではない。これをわざわざ、きれいな包装紙にくるみ、リボンをかけてもらった。
「あの、クリスマスプレゼントの中身が、これですかあ?」
店員さんに不審がられてしまったが、気にしないことにした。

 戻ってきてみると、受験者がまだひとり残っていたらしい。
「……聞いてみよう」
袖の席がまた空いていたので、そこにそっと潜り込む。そして歌唱が始まった。

「We praise thee, O God……」

「……!」
……これを聞き逃さなくてよかった。この歌唱力は、並たいていではない。会場の広さを知りつくし、声質にあった選曲で徹底的に聞かせる。並々ならぬ努力と叡知がそこに込められている。まさに、びりびりくるような演奏とは、このことだ。これは……大変なことになってきた。

 演奏が終了しても、客席から反応がない。演者が深々と会釈すると、ようやく拍手がおこり始める。ぱち、ぱちぱち、ぱちぱち……。俺も茫然自失であった。

 すべての演奏が終了し、主催者が判定を下すまでの間、会場がオープンになった。

「すばらしい演奏でしたね」
「……最後に演奏された、めぐみさんですか? ええ。本当に、会場の雰囲気を飲み込んでしまいましたからねえ」
「合格者はめぐみさんですかねえ」
「いや……あずささんもすばらしかったですよ」
「そうですねえ。でもめぐみさんが最後に来ましたから、わからなくなりましたねえ」
「難しいでしょうね、今回の選考は」

 会場からいろいろなうわさが聞こえてくる。うわさは、あずさとめぐみさんの一騎打ちだが、わずかにめぐみさんのほうが優勢のようだ。……こんなの、買ってきてる場合じゃなかったのか。

「会場のみなさま……」
ざわついていた会場が、主催者の一声で静まり返る。
「合格者を発表します」
……いよいよ、来た。

「今回のオーディションは、大変レベルが高く、どなたもすばらしい演奏をなされました」
審査委員長でもある、修道院長が、まずは無難なコメントをする。
「審査でも、票は真っ二つに割れました。そしてどちらにするか大変迷いました……」

「まずあずささん。オーソドックスな選曲で、オーソドックスな歌い方の中に、すばらしい表現力を感じました」
あずさの演奏らしいコメントだ。
「そしてめぐみさん。慣れた曲を、会場の響きを使ってよくコントロールされていて、聞かせる、という点では随一でした。まさに、本院におあつらえ向きの、お声でした」
さすがによく聞いてらっしゃる。的確な評価だろう。

 院長のことばに、会場中が耳目を集める。これほど長く感じられる一瞬もないだろう。

「ですが……」
つばを飲み込む音さえ聞こえてきそうな会場に、審査委員長のことばが響いた。
「あずささんの表現の中に、わたしは愛を感じました。本来、このオーディションは、神への愛を捧げる儀式で歌われる歌の歌い手を探すものです。審査委員長として、そして主祭として、わたしは神への愛を捧げるものに歌ってほしいと思います。めぐみさんのような、計算された美しさでなく」
……一瞬の間を置いて、院長が高らかに宣言した。

「本年度の合格者は、あずささんです」

 そして、会場が割れんばかりの拍手にわいた。俺の全身から、力が抜けた。
「よかった……な」
あずさにとっては、最後の機会だったこともある。来年には、俺もあずさも上の学校へ進学するために、この地を離れる。最後の思い出として、本当に最適なものが手にはいったのではないだろうか。意味のある、栄誉だ。

 オーディションも無事終了し、会場からほぼ人が引けたころ。
「さて……行こうか」
と立ち上がると、袋が、かさかさ、と音を立てた。
「……あ、そうか。これ買ってたっけ」
さきほどの緊張ですっかり忘れていたが、ハーブキャンディを1缶、袋にいれていたのだった。
「どうすっかな……」
あずさに渡してやりたいのは山々だが、さて、うまく捕まるだろうか。

 会場を出ると、雪が降り始めていた。
「冷えるはずだ……」
そんな独り言をつぶやくと、門柱の前に、見知らぬ白い人影がある。そしてその人影は、俺を認めると、つつ、と近寄ってきた。
「こんばんは。遅刻、だぞ」
そしてその人影は声を発した。

「……あずさ?」
……信じられないことに、それは、あずさの声だった。
「うん。わかんなかった? あたし、だよ」
「いや、その……悪い」
そうか、いつものTシャツじゃなくて、白いワンピースだから、見覚えがなかったんだ。
「へっへー、見違えたでしょ」
「ま、まあな……」
ちょっと照れくさいのを隠すため、俺は目をそらした。
「そ、そうだ。あずさ、祝勝。これをあげよう」
そういって、俺はきれいにラップされた箱を取り出す。
「わあ……ありがとう。開けていい?」
俺が『どうぞ』という前にもう、あずさは結び目をほどいていた。
「何かな何かな〜♪……」
かさかさと音を立てて、リボンと包装紙が取り除かれる。中から出てきたのは、さきほど仕込んだハーブキャンディだった。
「わ、またこれ? もうちょっとロマンチックなものかと思ったのに」
あずさが口を尖らせる。
「……でも、うれしいよ。気を使ってくれてるんだね。ハーブキャンディって、のどにいいっていうの、知ってるんだね」
「ま、まあな」
そういわれると、やっぱり、照れくさかった。

「あずさ。今日は、ほんとよかったな」
……とりあえず、祝ってあげなきゃな。
「主催者の発表を聞くまで、ほんとどきどきものだったもんな」
「そうだね」
あずさがうなづく。
「あたしね、今日勝てたのは、幸仁のおかげだと思ってる」
「俺の?」
俺は聞き返した。あずさは、
「うん」
と頷き返した。

 あずさがぽつぽつと話し始める。
「あたし、実はすっごく緊張してたの」
「知ってる」
俺が答えると、
「……そうだろうと思った。あたし、緊張しすぎて、のどがからっからになって、足がふるえて……。あのままじゃきっとダメだと思った」
あずさがことばを継ぐ。
「俺も見ててやばいと思った」
「そうだよねー。あたし自身、やばいと思ったもん」
「……で、どうしたんだ」
俺が聞いてみると、
「あのね」
あずさはそうつぶやいて、俺に向き直った。
「あたし、『幸仁、来て』ってお祈りしたの。『来て、あたしを助けて』って。そしたら、……ほんとに袖に来てた」
「あ、ああ……遅刻してごめんな」
俺は頭を下げた。
「ううん、いいの、もう。いつもいつもいじわるだけど、きっと、ほんとに大事なときだけは、絶対来てくれるって思ってたから」
あずさが俺を見つめる。
「だから、あたし……あれだけの歌が歌えた」
……たしかにあずさの演奏には愛がある、と、審査委員長が言っていたな。
「幸仁に聞いてもらうために、いっぱい、いっぱい、気持ち込めて」
「……あずさ」
「幸仁、ありがと」
あずさはそういうと、俺をしっかりと抱きしめた。
「みんな、幸仁のおかげだよ……」
あずさの目に涙が浮いていた。俺は、ハンカチを取り出して、あずさの目を拭ってやった。
「あずさ……俺」
「幸仁、好きだよ」
……俺に言われる前にいいやがった、こいつ。
「俺もおまえが好きだ、だから」
そういいながら、俺はあずさをぎゅっと抱き返した。あずさの体温を、全身に感じながら。
「だから……本番も頑張れ」
「うんっ」

 帰りの道すがら、あずさに聞かれた。
「幸仁、結局、きょうはどうして遅れたの?」
「……半分徹夜。宿題があれだけだろ」
「あっ、あたしもだ!」
「あとでうつさせてやるよ。これも祝勝でな」
「わあ、ありがとう!」

 それから俺は、少し用事を思い出した。あずさと別れて、本屋に立ち寄って、来月の時刻表を買う。そろそろスキー旅行とか考えないとなあ。

 そんなこんなで、プラプラとしたあと、俺は家に帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
姉貴の声が、台所からする。いいにおいもする。ケーキだな、これは。
「あずさ、合格したよ」
俺が報告すると、
「知ってるー」
と声が返ってくる。なんだって? ……そして、
「おかえりぃ」
もう一つの声がした。……あずさだ。

 台所に顔を出すと、姉貴とあずさがいた。
「おかえり」
「た、ただいま……」
あずさがあまりににっこりと笑うので、俺はついたじろいでしまった。そのうえ、
「おめでとうあずさ。幸仁と仲よくね」
姉貴がさらっとそんなことをいうので、
「わっ、姉貴」
「お姉さんってば」
俺もあずさものけぞるのだった。
……ん、おねえさん?

 ケーキでひとしきりお祝いしたあと、あずさは宿題を写しにかかった。オーディションの関係で、このところあずさはまともに勉強してないはずだ。……予想通り、宿題は山になっていた。
「ふにゅう……」
変な音を立てながら、あずさがへこんでいくのがわかる。
「……しょうがない、俺も手伝うか」
「ごめんね」
へこんだままあずさがうなづく。
「気にするな。そんなことより片づけるぞ」
「うん」

 宿題は思ったよりもはるかに時間がかかった。……そもそも、その宿題で昨日徹夜したのは誰だっけな、俺。考えてみると、そう簡単に終わるはずがない。
「……まだ、いっぱいあるね」
あずさがうなだれる。
それから、俺とあずさは必死に宿題を片づけた。姉貴は姉貴で、
「妹ができたみたいでかわいい〜」
とかなんとか言いながら宿題のじゃまをする。じゃまするんなら手伝えよ、姉貴。

 ずっと集中し続けて、宿題の山がなんとか片づいた。
「ようやく終わった……」
「ああ……」
俺たちから安堵のため息が漏れた。ところが。
「げっ……11時? うわ、やべっ……」
時計を見てみると、とんでもなく遅い時間になっていた。俺が、
「遅くなっちまったな。送っていこうか」
と言うと、あずさはこう答えた。

「ううん、いいよ。絶対遅くなるから、泊まってくる、って言ってきたから」

 俺はのけぞるしかなかった。
「あ、あずさ……まじで聞くぞ。どういう言い方した?」
「うん? 友達のところへ泊まるって」
事も無げにあずさが言う。
「男友達って、ちゃんと言ったよ。そしたら、『がんばんなさいね』って」
「え、あわわ」
ちょ、ちょっとあずさのおかん。どういう意味か、それ。
「それとも、いちゃイヤだった?」
あずさが逆に聞き返す。
「いや、そんなことはないんだけど……」
俺がたじろぐと、
「じゃあいいよね」
あずさがさらに念を押す。
「……ん」
ええ。そんな目で見つめられちゃ、イエスとしか返事しようがないんですが。

 それから俺は、先に風呂に入って寝床についていた。
「……幸仁」
部屋の外で声がするので、そっとドアを開けてみると、あずさが姉貴のパジャマと半天を着て立っていた。
「寒いから入っていい?」
俺が『いい』と言う前にあずさはドアをすり抜けてきた。
「幸仁、お姉さんにこっちに布団があるよって聞いてきたんだけど」
あずさが言う。
「え? 俺は聞いてないよ?」
実際、俺用の一組しか置いてないのだが。
「……おっかしいなあ」
あずさが首をかしげる。
「ちょっと俺、姉貴に布団借りてくる」
俺が外へ出ようとすると、
「……いいよ、幸仁」
そういってあずさが俺の袖を捕まえた。
「幸仁の布団、借りるから」
事も無げにそういうと、あずさは俺の布団へもぐり込み始めた。
「お、おい、じゃ俺の寝床は?」
「ここ」
布団から頭だけ出したあずさが、自分を指さす。
「あたしはいいよ。幸仁はイヤ?」
そ、そんなわけないけど……俺、自制できるか? 自信、ないぞ?
「幸仁ならいっしょでもいいよ、あたし」
あずさがさらに追い討ちをかける。
「……知らないぞ、あずさ、何されても」
俺が言うと、
「いいよ。幸仁なら何されても」
あずさが返す。
「……ほんとに?」
俺はさらに問うてみたが、
「うん」
あずさはうなづいた。

 俺はあきらめて、あずさと同じ寝床に入った。

「電気、消すぞ」
「うん」

 ぱちん、と電気を消すと、俺の部屋は真っ暗になる。
「まっくらだあ」
あずさが当たり前のことをつぶやく。
「俺はいつもこうしてるからな」
「ふうん、そうなんだ。知らなかったな……ねえ幸仁」
「うん?」
「……おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そういうと、あずさは眠りについたようだった。すうすうと、寝息を立てている。

 ふと寝顔をのぞき込んでみると、やっぱり年相応の女の子の顔だった。なんか唇が動いてるな、なんだろう、と思って、聞き耳を立てると、
「幸仁、好きだよ」
とつぶやいていた。
「幸仁、信じてる」
とも。

 あずさが俺の横で、寝息を立てている。
「……おやすみ、あずさ」
明日起きたら、どんな顔して、どんなこといえばいいかな。そんなことを考えながら、俺も眠りにつくのだった。

あとがき

 お題は『クリスマスにまつわるお話』なんですが、わたしにとっては『学生時代のクリスマス』つーと『コンサート』でして。で、ちょっと変形して、独唱歌手のオーディション、という形にしてみました。モデルになったのは、作者が通っていた高校のとなりにあり、いまは教会として使われている修道院です。パイプオルガンがあり、また音響もいいところです。それにしても、こっぱずかしー結末になりやしたねえ。え、もちろんなんにもありませんよ?

 ハーブキャンディはよく差し入れてました。山ノ内製薬のブツで、本当に1500円くらいからします。高いっす。

 昨日の今日でナニですがもう改訂してます。ちょっとずつ。それと、『音とか声とかを文字で表現するのはむずかしいですね』というお言葉をいただいたのですが、本編の表現のような歌を一度聞くと、納得していただける表現だと、思っているのですが……無理ですな。ううむ、筆力不足。

 ということで、はずかしーとかいいつつ、またお会いしましょう。