夏色のハンカチ

さく: ねこぽん

まえがき

 こんにちは、ねこぽんと申します。
ほとんどの方にははじめまして、ですね。

 作ってみたらこんなものができました、という代物なのですが、楽しんでいただけたら幸いです。もし、乱丁落丁おもろくないなどのトラブルがありましたら、奥付にありますメールアドレスまで電波を飛ばしていただければ、対応するかもしれませんししないかもしれません。

 では、ごゆっくり。

もくじ

プロローグ

 あのときからそんなに過ぎてないはずなのに、わたしのなかではもう何年も前のことのような気がする。忘れてはいけないことのような気がするのに、もう何も思い出せないような気もする。

 あいつのこと。
あいつと過ごした、あの夏のこと。

 雨。
ざあざあと降る雨。
下駄箱でだれを待つともなく、立ってたわたし。

 ……雨が降ると思い出す。あいつのこと。

第1章 -- 見上げれば雨雲

1

 その日も雨だった。
「よくふるなあ……」
「秋子、ぼやいたってしょうがないよ、梅雨だもん」
「……そうだね。じゃ、さっさとかたづけて、帰ろっか」
「うん」

 その日、あたしと美弥子は掃除当番だった。掃除当番といっても簡単なことしかしない。黒板を消して、ロッカーの上を拭くだけ。あとは、掃除人が来てやってくれる。面倒だけど、いつも使っている教室だから、それくらいのことはしないといけないよね。

 教室の扉が開いた。本吉先生、うちのクラスの担任の顔がのぞいてる。
「……お、石上、結城。掃除中か」
「はい」
「ふたりとも、ごくろうだな」
「いいえ、どーいたしまして」
美弥子、そのいやみったらしい言い方、あんまりよくないと思うなあ。美弥子らしいっていえば美弥子らしいけど。
「……結城、ちょっといいか」
「はい?」
「ちょっと頼まれてほしいんだが……荷物運びなんだがな」
あれっ、先生。美弥子に頼みって、そんなことですか?
「せんせー。そういう力仕事は男子に頼んで下さい」
ほら。
「そ、そうか。わかった」
でも、先生……困ってるみたい。困ってるよね。あたしでよければ、かわりになろう。
「……あの、先生。あたしでよければ手伝いますけど」
「お、そうか石上。助かる」
「あーきーこー」
「で、でも……美弥子ちゃん」
困ってる人はほおっておけないよ。
「あーあ。しょうがないなあ。秋子があんなこと言うんじゃねえ。あたしも手伝いますか」
ありがと、美弥子。
「ははは、ふたりともすまん。じゃ、あとで職員室へ来てくれ」
「はい」
「はいはいっと」
……がらっ。
「ふう。……まったく秋子ってば、人がいいんだからあ」
「で、でも、なんかすごく困ってそうだったし」
「それを人がいいっていうのよ。……ま、でも、そこが秋子のいいところなんだけどね」
「え?」
「さ、さっさと残り片づけていこっ」
「あ、うん」
……でも、なんだかんだいいながら、ちゃんとつきあってくれる。そこが美弥子のいいところ、なんだよ。

「作戦成功。うむ」
「先生。聞こえてますよー」
「お、おわっ」

「美弥子、どうしたの?」
「うん? な、なんでもない。ちょっと悪人退治を」
「はぁ?」
何してたの? 美弥子ってば。

 黒板消しをきれいにして、掃除は終わり。簡単なものだけど、ちょっとした貢献。さ、先生のところへ行こう。

 こんこん。
「……本吉先生」
「来てやったわよ、先生」
「むう、相変わらず横柄なやつだな、結城は」
「運ぶのって、そのでっかい箱ですか、先生?」
……ふと気づくと、なにやら大きな箱が置いてある。
「そうだ。そこの箱を体育倉庫まで運ぶんだが、中身は軽いぞ」
「軽くても、体育倉庫ってずいぶん遠いじゃないですかあ、先生」
「そ、そうだね……」
遠くない遠くない。わたり廊下の向こうだもの。美弥子、ふっかけてるわね。
「まったく。お人好しのだれかさんに付き合うのも楽じゃないわね」
「な、なんのことかな、美弥子ちゃん……」
「すまんな、結城。実のところ、すでに男子にもだいぶ手伝ってもらっててな。そこにあるのが最後の一個だ」
「あ、そーなんですか。人海戦術ってわけですね」
「少ない人数で往復するより、そのほうが早かろう。というわけでとにかく人数集めたわけだ。すまんな、頼んだぞ」
「はああ。はいはい。……秋子、そっちもって」
「あ、うん」
しかたない。とりあえず、行きましょう。

 先生の言った通り、箱はとっても軽かった。ほんとに箱だけじゃないかな、って思うくらい。中身はなんだか知らないけれど。

2

 体育倉庫までは、ふきっさらしだけど屋根のある廊下をたどっていけばいい。そんなに遠くないはず、だった。けど。

 ……ざあああ。

「美弥子ちゃん、なんか雨、強くなってない?」
「うん……なんか大雨だね」

 風も雨も強くなってきてた。ふきっさらしの廊下は、もう濡れずに歩くことは無理だった。

「美弥子ちゃん、どうしよう……」
「少し、待とうよ。待ったら雨、小止みになるかも」
「……そうだね」

 美弥子の提案で、少し待ってみることにした。せめて小止みになってくれれば、そんなに濡れずにすむかもしれない。

「あーあ。秋子、あとで先生に文句言って乾かしてもらおうよ」
「うん……って、え? どうやって?」
「ドライヤーくらいあるでしょ。借りようよ」
「うーん……あればいいね」
「ないとは言わせないわよっ」
「……ふふっ。そうだね、美弥子ちゃん」

 でも、雨はなかなか小止みにならない。風も弱まらない。どうしようかな、と思ったとき。

 ぱしゃ。ぱしゃ。ぱしゃ……。
「うひ……」
廊下の向こうから、男子が入ってきた。もうあからさまに濡れ鼠。大変だな……もしかして、あたしもあんなになっちゃうのかな?

 と思ってたら、その男子に急に話しかけられた。
「……あ。そこのふたりさんも荷物運び?」

 答えたのは美弥子。
「え、ええ……」
「ごくろうさま。雨、すごいですね」
「すごいねって、あの雨の中どこから帰ってきたのよ」
美弥子もびっくりしてる。
「あ、ああ、荷物……」
「ええっ、体育倉庫から!?」
わ、すごい。
「でも、雨やみそうにないですね。西の空はまっくらですから」
「それは困ったわね……」
つまり、雨が止む気配はないってことだよね。困ったなあ。

「そだ。ちょっといいかな?」
そういうとその男の子は、あたしたちがもってた箱をひょい、と持ち上げた。中身なんて軽いものだけど……。
「あ、何するのよ」
「どうせわたしはもとから濡れ鼠。行ってきます」
がらっ。ばしゃばしゃ……。
「あ、ちょ……」
美弥子の制止も聞かず、男の子は雨の中を出ていった。
「あ、あいつ……バカ?」
もう濡れてるからって、さらに濡れに行くことないじゃない。
「ほんと、バカみたい……」

 でも、あれってだれなんだろう。美弥子なら知ってるかな。知ってるよね。
「ねえ、美弥子ちゃん。あの男子って、だれ?」
「え? あ。そういえば。だれだっけ」
「……ほんと? それにしては親しそうに話してたじゃない」
「そ、そんなことないよ。あっちが普通に話しかけてきたから、つい」
「……じー」
「な、なによー、その疑いの眼差しは。ほんとだってば」
「……じー」
「秋子ぉ」
「……でも、気になるね。雨の中行っちゃったから」
「くす。あら珍しい。あんたでも男の子が気になることってあるのね〜」
「み、美弥子ちゃん。そ、それってどういう意味よ」
「ふふーん、な・い・しょ」
「ぶー」
……ばしゃばしゃ。がらっ。
「あれっ……さっきの子だ」
「あ……」
気が付くと、さっき出ていったばかりの男の子が、もう帰ってきてた。体育倉庫は、そんなに近いところじゃないはずなんだけど……?
「ねえきみ。さっきの箱は……」
「え……あ、さきほどのおふたりさん。ええ、もちろんちゃんとしまってきましたよ、体育倉庫でいいんでしょ?」
「うそ……そんなに時間立ってないわよ」
「あはは。まあ、近いものですから」
近いものじゃない、ってことは、彼の濡れ具合いからわかった。さっき見たときはまだズボンだけが濡れてたのに、今度は全身、バケツの水をかぶったようにびしょびしょだった。
「……ホントに体育倉庫まで行ってきたんだ」
「ああ、そんなに信用ないのかなあ。ちゃんと行ってきましたってば。鍵も締めてきましたし。ほら」
……知らない人はふつう信用しないよ。でも。
「ホントだ。体育倉庫、って書いてある」
あの雨の中……本当に体育倉庫まで行ってきたんだ。
「さ、こいつを職員室へ返して、っと。では」
「あ、ちょっと待って」
美弥子が呼び止めた。
「ん? わたし?」
「そ、あんた。……あ、あのね。あんたはいったい何者?」
「……そっか。そういえば見覚えはあっても名前は知らないんですよね。わたしは……職員室でいいですか?」
はい? なんで職員室?
「へ? なにそれ?」
「さ、とっとと鍵返しに行こうっと」
そういうと、男の子はさっさと歩いていってしまった。
「あ、ちょ、ちょっと、待ちなさいよ」
……なんなんだろう、この人。よくわかんないな。
「あ、秋子! さっさと行くわよ、さもないと置いてかれちゃう」
「あ、うん」

3

 男の子とあたしたちは、職員室へ戻ってきた。本吉先生はまだいた。

 男の子が職員室のドアを開く。
「ども。本吉先生は」
「ここだ。……ずいぶん濡れたな」
本吉先生があごを撫でる。先生のくせなんだ。
「ははは。覚悟の上でしたけどね」
「よく乾かしていけ」
「はい。では失礼します」
ぺこっと彼が頭を下げた。

 そのとき。
「ちょっと待った」
あ、美弥子。
「はい?」
「先生。こいつ、だれです?」
美弥子が男の子を指さしながら言った。
「こいつって、これ?」
先生も指さす。
「そー。この男」
「あー、こいつか」
納得したらしく、先生は男の子のほうに向き直った。
「史裕、自己紹介してやれ」
……ふみひろ? ふみひろって名前なのかな。
「そうだね。じゃあ自己紹介しましょうか。わたしは本吉史裕。明日から、この学校の二年生に転入することになりました。よろしく」
そういうと彼は、また軽く頭を下げた。
「よろしく……」
「本当は明日からなんですけど、今日は手続きの関係で登校してたら、こんな目にあっちゃって……。初対面が印象悪くて、ごめんなさい」
……そんなことないよ。
「ううん、助かったよ。結局あの箱、あんたに持ってってもらっちゃったもんね」
「お、史裕。いきなりポイント稼ぎか?」
先生がにやける。
「叔父さん、それはなしですよ」
彼がちょっと渋い顔をする。
「ごほん。学校では『叔父さん』はナシ」
「あ、すんません。先生」
「……とゆーことは、あんたと先生は親戚ってこと?」
美弥子、するどい。
「バレちゃしょうがないな。叔父と甥っ子、ってところだ」
「ふーん、そうなんですか。あ、あたしも自己紹介したほうがいいかな」
「そうだな。明日からおまえたちともクラスメイトだ。早めに知っておいても損はないだろ」
あ、そうなんだ。明日からクラスメイト、かあ。
「……って先生。いきなりネタばらしてどうすんですか」
「あ。いらんこと言ってしまったかな。内緒のほうがおもしろかったか」
「うっかり本吉の面目躍如ですね、先生」
ぷ。先生のあだ名、出しちゃダメだよ。
「こらっ、結城」
ほら怒られた。
「あ、というわけで、あたしは結城美弥子。よろしくね。そっか、同級生になるんだね。ほら、秋子」
美弥子? なんであたしにふるの?
「え? あ、あたしはいいよぉ」
「何言ってるのよ。べつに減るものじゃなし」
「だって……」
「もう、しょうがないなあ。えと、こいつは石上秋子。小学校からの腐れ縁で、どういうわけか小学校からずーっと同じクラスなのよね。高校までひきずるなんて、なんかもう陰謀めいたものまで感じちゃうわ」
な、なんてこと言うのよ。
「あ、美弥子ちゃん、ひどい」
「秋子が自分で言わないからよ」
「うー」
それはそうなんだけど……。

「……仲がいいんですね」
本吉くんがぽつりとつぶやいた。
「え?」
「いやあ、まあ。仲よきことは美しきかなへくし」
あ、くしゃみしてる。
「あ。大丈夫?」
「ええ、まあへくし」
「もう、大丈夫じゃないじゃない。とっとと乾かしてきなさい。風邪ひかないのよ」
美弥子がお姉さん風吹かせてる。初対面からさんざんだね。
「は、はいはい。では」
がらがら。ぴたん。本吉くんが出ていった。
「なんなんだ、あいつ」
「なんだろね……」
よくわからない子だったな。美弥子もそう思ったのかな。
「ははは。飄然としたやつだろ。まあ、ああいうやつだ。とりあえず、クラスメイトとして迎えてやってくれ」
「はい」
「……はい」
……なんか、釈然としない。

 その日は、結局美弥子と帰った。
「秋子。あいつ、変なやつ、だったね」
「うん」
「でも、悪いやつじゃなかったよね。あしたからクラスメイトかあ」
「……なんか、やだな」
「どうしたのよ秋子?」
「だって、なんか。裏がありそうなんだもん」
「いくらなんでも、それはないでしょ」
「美弥子ちゃん覚えてる? あいつが何て言ったか。『見覚えはあっても名前は知らない』って言ったんだよ。まるであたしたちのこと知ってるみたいに」
「そ……そんなこと言ってたんだっけ」
「そうだよ。なんかいやな予感するんだよね」
「でもさあ。いきなり人を疑うのはどうかと思うわよ。そりゃあ、あんまり信じるのも良くないけどさ」
「そうじゃなくて。なんか、わけわかんないんだけど……」

 今にして思えば、それがあいつとの出会いだった。

第2章 -- 押しつけないで

1

 雨はしばらく降り続いた。どうやら、前線が停滞しているらしくて、雲は切れそうにないって、天気予報は言ってる。雨の確率は50%。降ったり、やんだり。

 なのに、あたしはその日にかぎって傘を忘れてきてた。
「……おかしいなあ。置き傘があったはずなのに」
ロッカーにも、下駄箱にも、折り畳みの傘は入ってなかった。
「しかたない。玄関で美弥子ちゃんでも待ちますか」
その日、美弥子は部活動してて少し遅れる、って言ってた。あたしは生徒会の仕事くらいしかやってないし、この時期は仕事がほとんどないから、いつも帰宅部。美弥子に会えたら、傘にいれてもらおう。会えなかったら……どうしよ?
「……」
雨は降り続いてた。そんなに激しい雨じゃなかったけど、でも傘なしではちょっと。美弥子、来ないかな……。

「……あれっ、石上さん」
「え?」
ふと名前を呼ばれてふり返ると、男子が立っていた。名前は……えと。
「え、えと……も、本吉くん、だっけ」
「あ、覚えてもらえてたんだ。よかった」
……ほっ。正解でよかった。

「ところで。だれかと待ち合わせですか」
そんなこと聞くなんて、デリカシーのないやつ。やだなあ。
「あなたには関係ないよね」
突き放したつもりだった。でも。
「……結城さん待ち?」
「えっ」
びっくりした……。いきなり言い当てられるなんて。
「ど、どうしてそんなことっ」
「石上さんと結城さんって、いつもいっしょだから、もしかしたらと思って」
あ、そう……。なあんだ。
「……はあ。あたしたちって、組みで見られてるわけ?」
「ですけど、結城さんならとっとと帰っちゃいましたよ」
え? そうなの? 困ったな。約束してたわけじゃないから、裏切り者〜、とは言えないけど。

 本吉くんがつぶやいた。
「……傘、忘れたんですか」
「うん、そうな……あ、あんたには関係ないでしょ」
「いやまあ、そんな攻撃的にならなくても。なんでしたら駅まで送りましょうか?」
ば、バカ! そんなことしなくていいって!
「おことわりします。なんでそんな」
「そうですか。じゃ、傘だけでも使ってください」
そういうとあいつは、持ってた傘をあたしに押しつけた。
「あ、あの、そういうことは……」
「じゃ」
そういってあいつは、鞄を傘がわりにして、走っていってしまった。
「あ、あのね……ど、どうすりゃいいのよぉ」
ちょっと、なんてことするのよ! まったく、デリカシーのないやつ……。

 突然押しつけられた好意に、すごく腹立たしいものを感じてたあたしだったけど、雨には勝てなかった。
「はあ。……傘。借りて帰ろ」
あした、ちゃんと返そう。男物の傘だから、けっこう恥ずかしいんだけど。

 その夜、あたしはうちで、いらない詮索されちゃったことは、いうまでもない。あたしだって、お年頃の女の子なんですからね。まったく。

2

 翌日は雨が上がった。雨が上がったあとの青空は、細かい塵が洗い流されて、とてもすっきりと見える、と理科の先生が言ってた。
あたしには、違いが良くわからない。
「あ、秋子! おっはー」
「美弥子ちゃん。おはよう」
「あれ、秋子。傘、二本も持ってきてる」
見つかっちゃったか。昨日の話、しておかないとダメかな。
「……あのね、間抜けな話なんだけど。昨日、傘忘れちゃって。しかも置き傘もなかったから、大変だったの。で、今日はその」
「置き傘を二本持ってきたわけね」
「うん」
「でも一本はなんか秋子っぽくない傘だぞ」
「え?」
「ちょっと見せてみなさい〜」
「え、ちょ、ちょっと、美弥子ちゃん、なにするの」
言うが早いか、美弥子に傘を取られてしまった。
「……あら。『本吉』って書いてあるう」
あ。名前が書いてあるのが見つかっちゃった。どうしよ。
「……ふふーん♪ そっか、そんな仲だったんだあ。うらやましいなあ」
「な、なんのことよ」
うう、あらぬ誤解を招いちゃったかな。美弥子ってそういうの好きだから。
「ううん、秋子が男の子に興味を持ってくれて、お姉さんはうれしいのよお」
「み、美弥子ちゃん、ち、ちがうって」
そんなわけないじゃない。
「だって。これ、本吉くんのでしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
「昨日傘忘れて、彼と相合い傘って」
うぅ、やっぱり。誤解だってば。
「そんなことはありません。ほんとに。美弥子ちゃんと帰ろうかな、と思って下駄箱で待ってたら、あいつが来て、傘押し付けてくんだもん」
「へー。そうなんだあ。やるなあ、本吉くん」
「いい迷惑よお」
思い出しても腹が立つ……。
「まあまあ。人の好意は素直に受け取っておくものよ、秋子」
「そうはいってもさあ」
「まあまあ。少なくとも悪気があったわけじゃないし」
「そうかなあ」
「……でも、ごめんね」
美弥子が少しだけ声を落とす。
「ん?」
「秋子、下駄箱で待ってたんだ。先帰っちゃったでしょ、あたし。気がつかなくってごめん」
「あ、ううん、それはいいよ。約束してたわけじゃないし」
「ま、おかげで王子様にガラスの靴ならぬ傘を借りられたわけだしい」
「だれがよ! ちょっと調子に乗りすぎ、美弥子ちゃん」
「あははは!」
「あはははじゃなくて、まったく……」

 結局、美弥子にさんざからかわれて、あたしの立場ったらなかった。こういうときだけ、意地悪なんだもんなあ、美弥子って。

3

 教室につくと、みんな来ていたけど、あいつの席は空いてた。あれ?

 ……がらがら。あ、本吉先生だ。
「あー。みんな席に着け、出席をとる。石上」
あいつはどうしたのかな……。
「石上?」
え?
「は、はい」
「どうした、石上?」
「い、いえ……。なんでもないです」
「ならいいが。伊藤」

 ……結局、その日、本吉くんの名前は呼ばれなかった。昨日のことがあったから、少し気になってる。
「……先生」
「ん、なんだ石上」
「えと……えと、本吉くんは?」
「風邪だとさ。いまごろ熱だして寝込んでるところ」
「そ、そうですか……」
「まったく、史裕のやつ、雨の中濡れて帰ってくるんだからなあ。そりゃ風邪もひくぞ」
そんな……。まるで、あたしのせいみたいじゃない……。あいつにこの傘、返しにいかなきゃ。
「あの、先生。あいつ、どこに住んでるんですか?」
「ん、あいつって、史裕か? あいつは、うちだ」
え?
「うちに居候だよ。高校卒業までだがな」
「そ、そうなんですか……」
「どうかしたか?」
あたしは一部始終を先生に話した。あいつが傘を押し付けて帰っていったこと。そして、その傘がいまここにあること。
「そうか。じゃ、この傘は……いや、石上が持っていったほうがいいかもな。できればそうしてくれないか」
「で、でも……」
「そうしなよ、秋子」
突然、背中で美弥子の声がした。
「み、美弥子ちゃん! いつからいたの」
「一部始終ぜーんぶ。すっかり聞いてたわよん」
「あう……」
やな予感がするよ……。
「結城、石上のつきそいしてやってくれるか」
「ええ、もちろん。こんな楽しそうな……げふん、親友の大事な話、見逃すわけには参りませんものっ」
み、美弥子ちゃん……楽しんでるでしょ。
「ということだ。あとで職員室へ来い」
「ええ、ちゃあんと捕まえておきますね。先生」
「頼んだぞ結城」

「あの、あの……」
あ、あたしの立場は……。やだあ、もう。

4

 放課後。

 本吉先生のうちは、学校からけっこう遠い。電車とバスを乗り継いでいかないとたどり着かない、小さな集落にある。ここからうちの高校へ通っている生徒もたくさんいて、友達も何人かいる。

 あたしは全然違う方角だから、ちょっと遠回りすぎるんだけど……。

「なに、考えてるの? あーきこっ」
美弥子が話しかけてきた。
「え? あ、な、なんでもないよ」
「そお? なーんか、うわのそらっぽいわねえ。もしかして、彼のこと?」
「彼? 彼ってだれ?」
「ふ・み・ひ・ろ・くん♪」
「……えーと。だれだっけ」
本気で覚えてない。
「あらー、秋子って意外と冷たいのねえ。本吉くんよお」
「う……な、なかなか名前なんて覚えられないよ」
「ふふーん、そうかしらあ」
わ、まずい。話題をそらさなきゃ。
「……で、なんなの、美弥子ちゃん。何か用事?」
「うん。もう放課後だよね。秋子、用事あった?」
「別になかったような……」
「よしよし。じゃ職員室にいこっ」
「え? 何だっけ」
「あぁーっ、もう忘れてるし。ほら、そこの傘持って。さあさ」
「……あっ」
そ、そういえば昼間、本吉くんのうちへ行く話になってたんだっけ。
「逃がさないわよ」
「……はいはい」
逃げられるとは思ってなかったけど、やっぱり美弥子、楽しんでるよね。まったく、他人事だと思って……。

 がら。
「本吉先生。秋子、引っ張ってきました」
「美弥子ちゃん……。ひとりでも来れるってば」
「ふふーん、はたしてそうかなあ。意図的に忘れようとしてなかった? さっき」
「え、あ、あれは……」
「おお、結城、石上。うし、行くか」
「え、行くかって……」
「今日は先生の車に乗っけてやる。とっとと靴かえてこい」
「はあい。さ、秋子、行くわよ」
「あ、美弥子ちゃん、ちょっと……きゃあっ」
そ、そんなに引っ張らないでー……

 車に乗せられて、なんだかぼんやりしているうちに、先生のうちについたらしい。
「ここですか……」
「まあ適当にあがってくれ」
はあ。ここまで来たら、覚悟決めるしかないよね。すう。はあ。
「……はい。おじゃまします」
「おじゃましまぁす」
美弥子ちゃん……。やっぱり楽しんでるでしょ。
「さてと。史裕の部屋は奥の方だが……」
「だってさ。さ、行ってらっしゃい」
「え!?」
ちょ、ちょっとそこまでは……。できないよ。
「……叔父さん、お客さん?」
ふと見たら、廊下の奥に、パジャマ姿のだれかが立ってた。……本吉くんだ。
「お、史裕。いたのか。ちょうどいいや。お見舞いだぞ」
「あ、そう……どうもわざわざすみません」
本吉くんはぺこっとおじぎをした。
「おじゃましてます」
「あ……もう、いいの?」
「ええと、一日寝てましたので、すっかりよく……って、あ。結城さんに、石上さんだったんだ。ありがとう、うれしいよ」
そういうと本吉くんは微笑んだ。
「ん? 本吉くん、あたしたちがだれだかわからなかった?」
「すみません、実はよく見えなくって。とにかくありがとう。ごめんね」
「ううん、いいよ、クラスメイトだしさ。……秋子」
「え?」
「ほら。傘」
「あ……」
そうだった。傘、返さなきゃ。わざわざここへ来た目的って、それだもんね。
「あ、えと。昨日、傘借りちゃったままだったね。返す」
「石上さん。わざわざありがとう。明日、学校でもよかったのに」
「ほんとーかなあ? うふふふ」
美弥子。本吉くんまでからかわないの。
「え……いや、ほんとに。何にしても、わざわざありがとう。石上さん」
「え、うん、いいよべつに。こっちこそ」
「なんか……なんか、傘押し付けちゃった形になったけど。役に立ちました?」
「あ、うん」
気にはしてたんだ……。でも、役には立ってくれたし。
「そっか。よかった」
「でも、そのせいで風邪ひいちゃったんでしょ? そこまでしなくてもよかったのに」
「石上さん……気にしすぎですよ。風邪をひいたのは……調子が悪かったから」
本吉くんがうつむく。
「でも。結果的に風邪ひいたのにはかわりないよね」
「うん……。ごめんなさい、心配かけて」
……なんですって? 心配かけて、ですって?
「心配かけてなんていうくらいなら、最初からそんなことしないでよ!」
「……えっ」
「バカ! 本吉くんのバカ!」
「あ、秋子……」
「帰ろ、美弥子ちゃん! こんなのほっておこうよ!」
「あ、秋子……。先生、ここは失礼させてもらえますか」
「困ったな。……遠いからな、送るぞ」
「あ、はい。お願いします」
……。

 ……そのあと、車の中でも、先生に何度か、いろいろ聞かれたけど、
「……」
あたしは何も答えなかった。

 あたし、どうかしてたのかもしれない。あんなに怒っちゃうなんて。

 でも、許せなかった。人の心配するくらいなら、自分の心配しなさいよね。なんで、なんであたしなんかかまうの。それがわからなくて、許せなかった。

第3章 -- お手伝い

1

「じゃ、頼んだから」
「はい、先輩」

 あたしは生徒会の役員、ではないけど、いろいろお仕事を手伝ってる。クラスで何人か選ばれて、雑用をやることになってて、ことしはそれに当たっちゃった。はあ、面倒だなあ。

 今日の仕事は、印刷物の製本。といってもコピーは終わってるから、これを折って、ホッチキスで止めるだけ。でも、これだけ、なんだけど、面倒なんだよね。みんな帰っちゃったから、ひとりでやらないといけないし。

 ええと、これを折って。ぱちん。折って。ぱちん。……。

 がらら。あ、だれか入ってきた。
「こんちは。資料もって……あれっ」
本吉くんだ。
「石上さん、先輩は?」
「さっき、帰っちゃったよ」
「えーっ。ひどい先輩だなあ。自分は資料たのんどいて、帰っちゃうなんて」
……あーあ。また本吉くんのお人好しが出てる。
「本吉くん。資料、置いていけば?」
「あ、そうですね。メモメモ、と……」
あ、ポストイットがある。ちょうどいいや。
「はい」
「あ、ポストイット。ありがとう、石上さん。一枚いただきます」
「うん、いいよ」
どさっ。
「……これでよし、と。ところで、石上さんは何してたんですか?」
……え? な、なんであたしのことにふるかな。
「え? あ、うん。製本」
「スッチオッチホッチかぁ」
「……?」
「印刷して、折って、ホッチキスで止めることをいうんですよ」
へえ、そういう言い方もあるんだ。おもしろい。
「どれだけ残ってるんです?」
「このひと山。ふう」
「手伝いましょう」
え? そ、そんな急に言われても。
「……え、いいよ。本吉くん」

 ……本吉くんとは、お見舞いの一件以来、あんまり話をしてない。もともと、話をすることなんてなかったんだけど、でも、なんだか話しづらくて。

「ふふふ、わたしの腕前をナメてますね石上さん」
……って全然ひとの話聞いてない〜。
「な、何よそれ」
「折りはこーやるんですっ。見てなさい」
本吉くんは、折ってない紙を一掴みすると、すごいいきおいで折っていく。あっというまに、紙の山が折られていく。まるでマジックみたい……。
「……」
「ふ。見たか……ってなにぼーっと見てるんですか。石上さん」
え、な、何?
「ソートまでやりますから、ホッチキスお願い! いいですか?」
「う、うんっ」
ふええ、なんだか有無を言わさず仕事させられてるよお。
「はいっ」
「はい……」ぱちん、ぱちん。
「はいっ」
「はい……」ぱちん、ぱちん。すごいいきおいで積み重なっていく資料。本吉くんは手慣れた手つきでどんどん積み重ねていく。あたしはそれについていくのが精一杯。
「はひー……」
「がんばれ」
「は、はいいっ」
ま、まだまだあるんだよお。大変だよお。こんなの、ひとりでやってたら、いつ終わるかわかんないよ。……え、ひとりで?
「もう少しですよー」
「うん」
ひとりでやってたら……どうなってたんだろ。
「……」
「もうひと山っ」
ひとりで……
「……」

 ひとりで……

「あたっ……いてて」
……あたしは、その声に現実に引き戻された。
「本吉くん? どうしたの?」
「あ、なんでもない……紙で手を切っただけ」
大変。傷口から雑菌が入ったりしたら大変だもの。
「見せて」
「大丈夫ですよ」
「見せて」
「大丈夫ですってば」
「見せてっ」
「……は、はい」
「……血が出てる。痛いよね」
紙で手を切るって、意外と深いとこまで切ってることがあるのよね。ちゃんと消毒しておかないと……って、たしかここに。あった、救急箱。
「ちょっと……しみるよ」
「うん……つっ」
「がまんしなさい、男の子でしょ」
「は、はあい」
……え? な、なんかあたし、とんでもない発言しちゃった?
「え、ええと、とりあえずバンソウコウ貼って。これでよし」
「あ、ありがと……」
あれ、な、なんでよ。本吉くん、なんで赤くなってるのよ。あたしまで恥ずかしくなるじゃない……。
「さ、さてと。続き続き」
「……」
うん、つづきつづき。

 あんなにあった山が、いつのまにかすっかりなくなってた。
「これでラスト」
「うん。ぱちん、ぱちん……できたあ。あーあ、つかれた……」
「お疲れさまです」
本吉くんがまた微笑んでくれる。
「うん……あ、本吉くんもありがと。お疲れさま」
あたしも微笑み返す。
「ふたりでやると早かったでしょ」
「うん。ひとりだったら途方に暮れてたかも」
「よかった。……こないだみたいにいやがられたら困るしなあ」
本吉くんが小声でつぶやくのが聞こえた。
「え? 何か言った?」
「な、なんでもないです、なんでもない」
……しっかり聞こえちゃった。まだ気にしてたんだ、あのこと。
「今回は、ほんと助かったよ。ありがと」
「い、いやあ。たまたま通りかかっただけですから」
「なんでもいいよ。助かったんだから」
「そ、そう? え、えへへ」
今回は、素直に感謝しておこ。ほんと、どうなるかと思ったもんね。
「じゃ、じゃあ、今日はこれで引きあげますね。またあした」
「え? あ、うん……」
もう、帰っちゃうんだ。……あれ、なんだろ。何かが、ちょっと、ちくん、とした。

 ……がらがら。
「……さよなら」
そうだよね。本吉くんはただのクラスメイト。何でもないよね。

第4章 -- 神様仏様本吉様

1

「あーあ、テストかあ」
急に言い渡された小テスト。まったく、数学の先生って、どうしてこうみんないじわるなんだろう。まだ来週まで時間はあるけど、どこからどうやって手をつけていいのか、全然わからない。どうしよう……。
「あーきこっ。どうした? なんだかぼーっとしてるぞ」
「あ……美弥子ちゃん。うん、さっきのこと」
「さっき……あ、数学の小テストかあ」
やっぱり、美弥子も顔色が変わってる。おんなじ。
「それは……気にしないとかさ」
「美弥子ちゃんってば。そうも言ってられないでしょ、成績に反映するぞ、なんて脅されちゃ」
「そーなのよねえ。あいつ、どうしてくれよう」
「み、美弥子ちゃん……先生にあたらないの」
「うー……がう」
「ほえないの」
美弥子もあたしも、数学はあんまり得意じゃない。それに、どこから出題するか、さっぱりわからない。困ったなあ。

 ふたりでふさぎ込んでたら、突然美弥子が口を開いた。
「……あ。そうだ」
「な、なになに? 美弥子ちゃん」
「こういうときには、友達を頼ろう。ね」
「う、うん……でも、あてはあるの?」
「ふっふっふ。まあ、当たって砕けろだけどね」
なんかやな予感……。
「本吉くんに聞いてみようと思うのよ」
……出た、美弥子の十八番。根拠レス。
「このままなんにもしないよりはましでしょっ。さ、行くわよ」
「あ、ちょ、ちょっと美弥子ちゃんっ」
あーん、美弥子、どうしていつもあたしを引っ張っていくのよお。

 で、結局本吉くんのところに引っ張って行かれちゃった。
「本吉くん、ちょっといい?」
「ん? ……あ、結城さん、それに石上さん」
「あのね、さっきの話、覚えてる?」
「さっきの……何?」
「あらやだ余裕ねえ。数学の小テストの話よ」
「ああ、その話。覚えてますよ」
本吉くんは顔色ひとつ変えない。
「それでねえ。もし、よかったら、なんだけど。教えてくれない?」
「ええ、いいですよ」
わ……あっさりOKだよ。
「……えっ」
「どうしました? 数学は得意な方ですから、聞いてください」
「ど、どうしよ」
ぷぷっ。美弥子ってば、意外な返事に逆にとまどってる。
「え、えと、お願いします」
「わかりました。……へんな人たち」
う、美弥子といっしょくたにされちゃったよ。美弥子のせいなんだからね。
「先生の話では、問題はこの問題集から出るって言ってたよね」
「え? ……あ、もう始めるの?」
「時間はかからないと思う。あ、メモはとってね」
わあ、そんなすぐに話始めるなんて、聞いてないよおっ!
「ちょ、ちょっと待って! ノートとシャーペン取ってくるっ!」
「あ、あたしもっ」
美弥子もなの? もう、ふたりとも用意悪いわね!
「ひど。話聞きに来たんなら、最初からメモくらい用意してほしいなあ」
言われてみるとその通りなんだけど。うー。言わないでよ。
「……おまたせ。じゃ、つづきお願いします」
「ふたりともいい? じゃあ、つづき。範囲も先生が言ってましたよね。114ページから144ページまでって。だから、最悪、この中の問題を全部暗記すれば、パーフェクト」
「それは無理よ」
うん。そのとおり。
「ええ。そこで、最低限これは覚えてしまえ、というのをこれからチェックしていきます。たぶん、20問くらいになるけど、それくらいならなんとかなるかな?」
「なんとか……あの。できたら解き方も」
う、厚かましいかなあ。でもあたしも美弥子も、問題教えてもらっても解けないかもしれない。できたら解答もほしいんだけど、ねえ。
「いいですけど、それは明日くらいにしてください。それなりに時間かかりますから」
……わ、いいの? ほんとに?
「じゃ、まず、115ページのこれと……」
「え? 114ページはいいの?」
「まず出ません。これは覚えててもあんまり役立ちませんから。わたしが出題者なら絶対出しません」
「……ふうん」

 さっきから言ってる問題集っていうのは、うちの学校でしか使ってない、先生お手製の問題集なんだ。本吉くんが越してきてからそんなにたってないのに、もう問題集にチェックを入れてるなんて……。本当に数学が得意なんだろうね。うらやましいなあ。

「……で、ラスト144ページのこれ。何問になりました?」
「ひの、ふの……ピッタリ20問」
すごい……。
「やあ、読みが当たった。よかったよかった」
「ありがとう。これだけでもすごい助かるよお」
「勉強しなきゃいけないのはわたしも同じだから、おたがいさまです。あ、解答は明日でもいいですか?」
「え? そこまで迷惑かけられないよ……」
「だから、勉強しなきゃいけないのは同じだって。わたしはわたしで全問解くから、そのうちの一部を抜き出すだけですよ」
「え、でも……」
「ほんとにいいの?」
「いっちゃなんですけど、全然手間かわらないし、ついでですからね」
「お願いします本吉さまあ」
「美弥子ちゃん、頭下げすぎ。……じゃあ、お願いしちゃおかな。ごめんね」
「はい。じゃ、明日また」
「うん」
……本吉くんの意外な活躍。どれだけあてになるかはわからないけど、持つべきものは友達、かな。
「……ああ、ありがたきかな。神様仏様本吉様」
「うん……でも、そういうことはテストが当たってから言おうよ」
「秋子、意外と冷たいのね」
そ、そうかな!?

2

 翌日。
「おはよう、石上さん」
声にふとふり返ると、本吉くんが後ろに立ってた。
「あ、おはよ……」
「めんどくさくなっちゃったんで、全問の解答、コピーしてきました。覚えるのはあの20問でいいですから」
「え……ええっ!?」
ま、まさか……あれ、100問以上あるのに、あれを一晩で!?
「じゃあ、これ、よろ……あっ!」
「ど、どうしたの?」
「ごめんなさい……。コピー、ひとつしか作ってなかった。悪いけど、結城さんの分、コピーしてあげてください。ほんとごめん」
「あ、それだったらコピー代出すよ」
「それはいいですよ。それより、いい結果出してくださいね」
ひー、笑顔でそんなプレッシャーかけないでよお。
「うっ……で、でも」
「わたしはちょっと用事があるのでいなくなります。結城さんによろしく!」
本吉くんはそういうと、そそくさといなくなってしまった。彼のくれたコピーは、40枚くらい……ううん、50枚はあるわね。ちゃんとお金は返さなきゃ。そこまで迷惑はかけられないよね。

 ……あ、美弥子だ。まだ眠そう。
「ふあ……おっはー」
「おはよう、美弥子ちゃん。これ、何だと思う?」
「あー、コピーねえ……ってもしかして」
「本吉くんの解答集、よ」
「うそ!? ひ、一晩でこれだけっ!?」
美弥子、一気に眠気がさめたみたい。くす。
「出題範囲、全部だって。なんか信じられないよ」
「ううむ……本吉くん、やるなあ。なんにせよ、彼には感謝ね」
「うん」
「じゃ1部くれる?」
……聞いておいてよかった。でも、困っちゃったね。
「それがね。ひとつしかないの。コピー忘れたって」
「ええっ……があん。ううっ、あたしは見捨てられてしまったのねえ。うるる、しくしくしく」
「美弥子ちゃん、泣き真似したってすぐわかるって」
「だってえ」
「本吉くんもごめんって言ってたよ」
「ううっ、いい人ですこと」
「……はいはい。とりあえず、昼休みにでも、コンビニでコピーしようよ」
「うん」

 休み時間、本吉くんがくれたコピーを眺めてみた。
「……」
あんまりきれいな字じゃない(男の子だし)けど、丁寧に説明してある。なんか、教科書とか参考書よりわかりやすいかもしれないな。それでいてくどくないってのが不思議。これなら、頭にはいるかも。
でも、数字と記号の羅列を見てると……ふああ、なんだか眠く……。
「秋子っ。寝るなっ」
わ、いきなり怒られたよ。
「あ、美弥子ちゃん」
「せっかくの御大のご厚意、見ながら寝るとは何事か」
「大げさだなあ」
「ちょっち芝居かってたか。でも、あたしは見てないんだぞう」
美弥子がぷう、とふくれる。
「くす。……じゃ、半分、見る?」
「うん。そーする」

 ぱら、ぱら。しばらく沈黙がつづいた。

 本吉くんノート、あたしはいいと思うけど。美弥子はどう思ってるかな。
「……ねえ美弥子ちゃん、これ、どう?」
「どうって……んー、そうねえ。説明がわかりやすくていいよね」
「そう? あたしもそう思った」
「字は汚いけどね」
「それも言えた。くすくす」
「ふふふ」
……おんなじこと、思ったんだね。

 昼休み。うちの学校は、すぐ近くにコンビニがあって、お昼ごはんをここで買っていく人もいるくらい。さっきもらった解答集をここでコピーしよう、ってことで、美弥子とあたしはやってきた。
「秋子。空いてるね、コピー機」
「うん、さっさとコピーしちゃお」
……結局、A4で55枚。550円かあ、ちょっと高かったかな。でも、役に立ちそうだから、いいよね。
「くー、550円かあ。きついなあ」
「どうしたの、美弥子ちゃん?」
「今月おこづかいあんまりないのよねえ」
「食べ過ぎで?」
「こら秋子。なんでそうなるのよお」
「でも美弥子ちゃんってば、コンビニでよく買い物してるじゃない」
「うー。だってうちのママ、お弁当作ってくれないんだもん」
「……え、お昼ごはんもおこづかいから出してるの?」
「そーなの。やれやれ」
「それは大変。うちは別建てだよ」
「あ、いいなあ」
美弥子も大変だね、それなりに。

「ところでさ」
「ん、なに」
「あんたのこれのコピー代はどうしたの?」
そうくると思った。
「うん、返そうと思ってるんだけど、朝は逃げられちゃって」
「ふうん……ふふふ」
「な、なによお」
「ん? な、なんでもないなんでもない」
「なんかまたよからぬこと考えてるわね?」
「秋子ぉ、あたしがそんなことする女に見える?」
「見える。実績も十分」
「あ、秋子ぉ〜」
美弥子ってばこういうこと好きなんだから、もう。……たまには、こうやって逆襲しておかないとね。

3

「起立、礼」
「気をつけて帰れよ」
「はーい」
……きょうも一日終わったなあ。もう放課後。あ、本吉くんを捕まえなきゃ。
「本吉くんっ」
え? 美弥子、すばやい。
「はい?」
「はい、519円」
あ、コピー代……返そうとしてるんだ。9円で計算してる。
「な、なんですか急に」
本吉くん、とまどってる。
「なんですかもかんですかも。秋子のぶんのコピー代」
「え、えとそれは」
「なによお、あたしじゃ受け取れないっていうの?」
「……いやその。別に払ってもらいたかったわけではないんですが」
本吉くん。遠慮しないで。
「そうは行かないわ。やっぱり、お金だけはちゃんとしておかないと」
「そうですかね」
「そうよ。友情でもなんでも、お金で壊したくはないでしょ? お金のことだけはきちんとしておいたほうがいいと思うの」

 ……美弥子。そうだよね。あたしが、甘かったよ。

「……ちょっとだけ、考えさせてください」
「考えることじゃないような気がするんだけど」
「……ふむ」
「……どうするの?」
「そうですね。たしかに結城さんの言う通りだ。となればよけい、結城さんから受け取るわけにもいかないでしょう」
……それもそうだ。
「うっ」
「お気遣い痛み入ります。ありがとうね、結城さん」
「う、ううん……」
美弥子……。結局、傷付けちゃったね。ごめん……。

 美弥子の好意を無駄にしないためにも、ちゃんとあたしが払わなきゃ。
「本吉くん、で、結局いくらしたの?」
「490円。大量コピーに紛れ込ませたんで、ちょっと安上がり」
「あ、いいなあ。なんかすごい技もってるね」
「教師の家に居候ですからね。叔父さん……あ、先生のコピーにちょいと付き合わされましたけど」
「も……もしかしてスッチオッチホッチ?」
「う、わかりましたか」
「おつかれさま……」
本吉先生って、意外と人使いが荒かったのね……。本吉くんも大変だな。
「秋子、スッチオッチホッチって何? 彼とあんたの符丁?」
美弥子が割って入ってくる。
「美弥子ちゃん、なんでもそっちへ結び付けたがらないの。あのね、スッチオッチホッチ、ってのは、コピーして、折り目つけて、ホッチキスで止める、っていう製本作業のことをいうの」
「へー。おもしろい単語ねえ。リズムいいし」
「でしょ。……あたしが自慢することじゃないけど」
「で、なんでそれを知ってるかが聞きたいな、おねーさんとしては」
「み、美弥子ちゃん……」
「わたしが教えたんですよ」
あ、本吉くん。
「でしょ。で、何かあったの?」
「いえ、たいしたことでは。石上さんが居残りで製本やってたときに、ちょっとお手伝いする機会がありましてね」
「あのときはほんと助かったよ。スッチオッチホッチ、っていう単語は、そのときに教わったんだよ」
「ふうん……、秋子と、彼とで、ふたりきり、かあ」
「美弥子ちゃんってば!」
「はは。困ったお人ですね……」
ほら、本吉くんまであきれてるぞ。
「……あ、あきれられちゃった」
「ほらみなさい」
「うぅ……」
「でも、本吉くんがあんなに手慣れてるわけもこれでわかったね」
「なにに?」
「製本。だからその目付きはやめてってば、美弥子ちゃん」
「ははは、そりゃ先生のおつきで作業してればねえ。でも、先生はあんなもんじゃありませんよ。そうだね、そこの問題集、三日で全員分完成する、っていったら驚きます?」
「え……ええっ!?」
「嘘!?」
200ページもあるんだよ? しかもくるみ製本無線とじだよ!? それを300人以上分!?
「……こ、腰が抜けるぅ」
「わたしはまだまだ修行が足りないそうです、まったく」
「そこまでしなくていいと思う……」
「賛成……」
……ってこんな話してる場合じゃなかった。
「……あ。本吉くん、じゃ、500円」
「はい。じゃ、10円返しますね」
「いいよお」
「そういうわけにもいきませんよ」
「でも、本吉くんもすごい手間かかってるんでしょ」
「もともと必要だったものだから、よけいなコストはかかってませんって。だからきちっとしておきたいのですが」
「でも」
「それとも、石上さんはわたしのクラスメイトじゃないんですか?」
……え。
「それならそれでいいんですが」
……そういう問題じゃないんだけどな。でも、本吉くんの好意は無駄にしちゃいけない。
「……わかった。そうだよね、きっちりしたい、って言ったのはあたしも同じだから。ちゃんと受け取るよ」
「ありがとう。じゃ、今日はこれで」
「さよなら」
「……さよなら」

 ……本吉くんが帰っていく。ふたり、残される。

「ねえ美弥子ちゃん」
「うん?」
「……これで、よかったのかな。なんか脅かされたような気もする」
「あたしの……せい?」
「そんなことないよ。そんなことない」
「うん……」
『クラスメイト』かあ……。
あたしにとって、本吉くんってなんなんだろ。本吉くんにとっては……。

第5章 -- 顔のない日

1

 また、今日も雨。なんだかうっとおしい天気がつづく。これじゃあ、せっかくのお気に入りのスニーカーとかもはけない。

「おっはー、秋子」
「あ、美弥子ちゃん。おはよう。きょうは早いんだ」
「あのねえ。人を遅刻常習犯みたいに言わないでよね」
「そこまで言ってないよお」
「ふふ。ま、いっか。……あ、あれ、本吉くん」
「ほんとだ」
本吉くんが歩いているのが見えた。なんだか肩を落としてる。
「おおい、本吉くうん」
美弥子が呼び掛けてみた。……あれ? 反応がないよ。聞こえてるよね?
「あれ? どうしたんだろ」
美弥子も気になってるみたい。どうしたんだろう。
「追い付いてみようか」
「うん、そうしよ」
ちょっと早歩きしてみたら、本吉くん、なんだかゆっくり歩いてたみたいで、すぐ追い付いた。
……本吉くんの表情には、色がなかった。
「……っ」
なんだか、声がかけづらくて……。あたしと、美弥子、それに本吉くんは、しばらくだまったまま歩いてた。

 口を開いたのは、やっぱり美弥子だった。
「本吉くんっ」
「……」
返事はない。それどころか、あたしたちに気がついているかどうかさえ、怪しい。ほんとに、顔が青ざめてる。あんな悲しい表情、見たことがないよ。

 学校についても、本吉くんは押し黙ったままだった。
「……どうしたんだろうね、本吉くん。全然、返事もしないなんて」
「うん……」
美弥子があんなに呼び掛けても、返事もしないなんて……。

 それでも、時間はいつものように過ぎて行く。
「おはよう。席に着け」
あれ? ……本吉先生じゃない。
「本吉先生は、きょうはお休みだ。ことによると、今週一杯かもしれない。というわけで、数日、先生が担任を代行する。よろしく」
……何があったの? 先生もお休みだなんて。
よくない想像が頭の中をぐるぐると駆け巡っていく。まさか、まさかね……。

「秋子?」
「……ん? なあに、美弥子ちゃん」
「先生に……聞いてみようか」
「うん……」
言わなくてもわかる。本吉くんと先生に何があったのか、聞きに行こう、って言おうとしてるはず。

 美弥子が先生を捕まえた。
「先生。あの」
「ん、なんだ」
「本吉先生のことなんですけど」
「あの……どうなさったんですか?」
「あの丈夫だけがとりえの先生が」
み、美弥子ちゃんっ。こんなときまで。……でも、先生は困った顔をするばかり。
「……困ったな。ちょっと言えないのだが」
なんで。なんで言えないの。
「……なんで」
あたしの中で、何かが切れた。そして、いつのまにか、先生に詰めよってた。
「ん?」
「なんで言えないんですか! あたしたちが先生のこと、心配してないとでも思ってるんですか! 先生に何があったのか、あたしたちには教えられないことなんですか? どうなんですか! 先生! 先生……!」
「あ、秋子……」
「……こ、困ったな」
「教えてください! 先生!」

 先生が折れた。
「……ふう、そこまで言われてはなあ。わかった、ただ、ほかの生徒にはやっぱり教えられないから……結城、石上。あとで職員室へ来てくれるか」
「わかりました。必ず、教えてくださいね」
美弥子が答えた。
「約束する。じゃ、あとでな。石上」
「秋子?」
本当はここで大人しく引き下がっちゃダメなんだろうけど。でも、美弥子の顔もあるから。
「……はい、約束ですよ」
……そのあとの授業は、どこか上の空だった。マグネシウムとマグネットを間違えるなんて、かなりどうかしてるぞ、あたし。

2

 いままでで一番待ち遠しかったかも知れない、休み時間。
「美弥子ちゃん」
「うん?」
「職員室、いこ」
「……あ、うん」
やっぱり、いても立ってもいられない。何があったのか、どうしても知りたい。
「先生……」
「お、石上か。それに結城」
「約束ですよね」
「あ、ああ。約束は約束だ。悪いが、くれぐれも口外するな」
「はい……」
「実はな」

「そうだったんですか……」
「うむ、大変なことになっているな」
本吉先生のご兄弟、つまり、本吉くんのご両親が行方不明。とおい異国の地で、災害に巻き込まれたらしい。いまわかっているのはそれだけ。もしかすると、本吉先生も現地へ行かないといけないかもしれない。
「よくわかりました。先生を責めたりしてごめんなさい」
あたしは先生に頭を下げた。
「いや……石上の気持を考えてなかった先生も悪かった。すまんな」
「……たしかに、こんなこと、大きな声では言えないですよね」
美弥子がフォローしてくれる。
「すまんな、ふたりとも。何度も言うようだが、くれぐれも口外はしてくれるな」
「はい。……行こう、秋子」
「失礼します」
「うむ」

「本吉くん、大変なことになってたんだね」
「うん……」
あんなに落ち込んでるわけが、よくわかった。でも、どう言葉をかけていいんだろう。あたしにできることって、なんだろう……。
「秋子?」
「なあに、美弥子ちゃん」
「あたしたちに、できることって、何があるかな」
……美弥子も、同じこと考えてたんだ。
「わかんない。わかんないけど……とにかく、話をしてみようよ」
「……うん」
……しっかり、石上秋子っ。

 教室に戻ってきた。
「ええ、いいですよ」
……あれ? 本吉くん?
「ええと、この式を解くと……」
すっかりいつもの本吉くんじゃない?
「あれ……?」
「……やれやれ。あたしたちが心配するまでもなかったか」
美弥子はほっとした様子。
「そ、そうだね」
一番心配してるはずの本吉くんが、いつものように振る舞ってる。ホントに、いつものように……。

 ホントに?

 疑問は膨らむばかりだった。

3

 放課後。
どうしても、彼と話しておきたい。何を考えてるのか、聞きたい。
「本吉くん」
「あ、石上さん。ごめんなさい、今日は早く帰りたいので……」
「帰り道くらい、いいでしょ」
「……」
「ほらっ」
ぐいっ。
「わ、わわっ」
つけいるすきを見せちゃダメ。ここはちょっと強引でもいいから。
「話してもらうよ。何があったのか、全部」
「……え」
そのとたん、彼の表情が一気に曇っていった。……あたしだって、こんなこと聞くの、つらいんだぞ。君だけじゃない、つらいのは。
「ほらほら」
「……わかりました」

 あたしは、理科の先生に聞いた話を本吉くんにぶつけてみた。
「先生に聞いたのはここまで。あとは君から話してほしいな」
「……といわれても。わたしにもそれ以上の情報はないんです」
本吉くんの表情は暗いままだった。
「そう……」
「心配は心配です。なんてったって、わたしの両親ですから」
「うん。それは、そうだよね。だから朝、あんなに落ち込んでたんだよね」
「……へ? ど、どうしてそれを」
本吉くんが目を丸くした。
「あっきれた。ほんっとに気づいてなかったんだ」
「……もしかして、あの」
「美弥子ちゃんがどんなに話しかけてもしらんぷりするんだもん。何かあったと思わない方が変だよ」
本吉くんは頭をかかえた。
「うわあ、ごめんなさい……って石上さんに謝ってもしかたないですね」
「ちゃんと伝えておくよ」
「すみません……」
「……でも、そんなに落ち込んでたのに、どうしていつもの本吉くんだったのかな」

 ……根本的な疑問。どうしてそれでも、いつものように振る舞えるの?

 本吉くんは、あたしの目を見ないで話した。
「思ったんです。先生がいないってこと。わたしがいつもと違うこと。それじゃあ、絶対みんなが心配する。だったら……」
本吉くん、なんてことを!
「せめて自分はいつものとおりで、心配させないようにしようって!?」
「……はい」
「……そんな」
本吉くん……。それは、自分を犠牲にしすぎだよ。
「本吉くん! そんなのダメだよ。悲しいときは、悲しい顔していいんだよ」
「……」
「きみは自己犠牲がすぎるよ。だれにだって、いい顔しすぎてるよ。つらいときは、つらいって言ってもいいのに」
「……石上さん」
「そんなんじゃ、いつか潰れちゃうよ。あたしたち、友達でしょ? 友達なら、楽しいことも、悲しいことも分かちあおうよ」
「……」
「なんで話してくれなかったの。あたし、本吉くんの友達じゃないの?」
……あたしだって、こんな言い方、したくない。
でも、これぐらい強く言わないと、本吉くんもわかってくれないと思うから。
「……本吉くん。何とか言ってよ」
「石上さん」
「うん……?」
「……やさしいん、ですね」
「え?」
そんなことないよ。むしろ、今は君を責めてるくらいなのに。
「友達、ですか。わたしごときが、ですか……」
「なっ……何言ってるのよ! 本吉くんにはいろいろ助けてもらったし、そのっ……」
「……」
「と、とにかくっ。あたしは本吉くんのこと、だいじな友達だと思ってる」
本吉くん。答えて。お願い……。そんな、泣きそうな顔しないで……。
「本吉くん……」

 長い沈黙のあと。やっと、本吉くんが口を開いた。

「……わたしが、あなたの、友達、ですか?」
「あたりまえじゃない。いままでそうじゃなかったとでも?」
「そうか。そうなんですね。ははは」
「ふふっ」
……やっと、本吉くんの表情がいつもの笑顔になった。やっぱり、彼には笑顔が一番似合うよ。
「石上さん」
「……秋子でいいよ」
「え? ……あ、そうですか。なら、そう呼ばせていただきますね」
「それとそのへりくだり口調もやめてほしいなあ」
「こ、これは口癖ですから」
「……しょうがないなあ」
「で、秋子さん……あ。ちょ、ちょっと慣れないなあ」
も、本吉くん。そんな、顔まっかっかにして言わないでよ。
「え、えと……。あの。い、いろいろ、心配かけて、ごめんなさい」
ぺこっと頭を下げる。
「え、あ、うん。いいのよ。だって友達じゃない」
「そ、そうですか?」
「本吉くん」
「史裕でいいですよ。そもそも先生と紛らわしいし」
「え? ……あ、じゃ、史裕くん。心配かけてごめんなさい、っていうくらいなら、こんどからあたしにも話してくれること。いい?」
「え、でも……」
「友達だからだよ。きみは、友達には心配かけちゃいけない、って思ってるみたいだけど、あたしはそれは違うと思う。心配かけない、ってことは、なんでも黙ってることじゃないよ」
「……はい」
「それよりずっと、きみがひとりでやきもきしてるほうが、ずっと心配。友達として」
「はい」
「だから、何かあったら、何でも話して。あたしで良ければ、いつでも話し相手になるから」
「……ありがとう」
「礼なんかいらないよ。だって、友達でしょ」
「そうですか……。なら、秋子さんも、困ったこととかあったら、いつでも言ってください」
……よかったよ。ほんとよかったよ。史裕くんに、笑顔が戻ってきた。

 でも、現実から逃げちゃいけない。
「……史裕くん。ご両親のことは、心配だよね」
「ええ。まだ、予断を許さない情勢とのことですから。でも、秋子さんのおかげで、ちょっと気が楽になりました。いちいち最悪の事態なんて考えてたら、やっぱり身が持ちません」
「よかった。お役に立てたようで、なにより」
「……ほんとに、秋子さんには、助けられてばかりですね」
そうでもないよ、史裕くんにも助けてもらったよ、あたし。
「友達だから……だよ」
「ええ!」
いい返事。がんばれ、史裕くん。

 そのとき、胸の奥に、ちょっとだけちくんとするものがあったのを、このときのわたしは、まだ気づいてなかった。

第6章 -- Run for Sun

1

 久しぶりに、いい天気。からっと晴れた朝は、やっぱり気分がいいよね。
「おっはー、秋子」
「あ、美弥子ちゃん。おはよう」
「……昨日は、どーだったの?」
いきなり、なんのこと?
「え? き、昨日?」
「そうだよお。昨日あんた、本吉くん引っ張って帰っちゃったじゃない」
あーっ! そ、そうだった!
「み、美弥子ちゃん……。ごめん、昨日は結局おいてきぼりだったね」
「ううん、いいのよー。どーせあたしは部活だったし」
あ、美弥子、すねてる。
「……で、どうだったわけ? どこまで行ったの?」
そのうえまた曲解してる。んもう。
「こら、美弥子ちゃん。そこで声を潜めないの」
「でもお、お姉さんとしてはそこが知りたいのよお」
「美弥子ちゃんが想像するようなことは、なーんにもなかったよ。残念でした」
「え、ええーっ!? つ、つまんなあい」
つまんないって言われても。
「でも、ふ……本吉くんも少しは気が楽になったみたい」
「ふ? まさか」
「かなり思い詰めてたみたいだった……って、美弥子ちゃん。なんでそういうとこだけ耳がさといのよ」
「ふうーん。ちょっとは進展したのね。お姉さん、うらやましいわあ」
「んもー。まじめに聞いてよね」
「まじめに聞いてるわよん」
「あやしいなあ。そんな怪しい人には、もうお話しできません」
「あ、秋子ぉ。そんなあ」
「知りません」

 といっても、そのあと、ちゃんと話してあげたんだけどね。
「そーなんだ。あたしも美弥子でいいよ、って言っといて」
「自分で言いなさいよ」

 史裕くんが入ってきた。いつもの笑顔だね。
「おはよう、秋子さん」
「おはよ、史裕くん。いい天気だね」
「そうですねえ。たまに晴れるから、かえっていいのかもしれませんね」
「おっはー、史裕っ」
「お、おはようござ……」
「ああっ。あ、秋子と扱いが全然ちがうぅ。しくしくしく」
「え? こ、困ったなあ……。どうしたものか……。へルプ、秋子さん」
「すねてるだけだよ。美弥子ちゃんに合わせてあげたら?」
「は、はあ……美弥子さん? お、おっはー」
「おっはー♪ やたっ」

 ……立ち直り早いわね?
「ふん、ふふん♪」
な、なんでそんなうれしそうなのよ、美弥子。

 その日一日、美弥子は妙に上機嫌だった。史裕くんともよく話してるし、いつも以上にけらけらとよく笑ってる。
「美弥子ちゃん?」
「ん、なあに、秋子ちゃん♪」
「……なーんか、今日の美弥子ちゃん、上機嫌だなあ、って思って」
「そお? あたしはあたしよ」
「そうかなあ……」
……なんなんだろ。なんだか、ちょっとだけいやな感じがする。

2

「さて、次の授業はと……あ、体育だ」
「あ。さっそく着替えなきゃ」
「うん」
体育の授業は、テニス。軟式だけど、ちょっと気を抜いてると、
「こらそこ! ぼーっとしてるんじゃない!」
と、叱責が飛ぶほど、厳しい授業。あたし、べつにテニス部じゃないんだけど。
「ぼーっとしてると、危険なんだぞ。ボールがいつどこから飛んでくるか、わからないからな」
先生。それは一理ありますけど、そこまでぼーっとはしてませんってば。

「今日はゲームをやってみようか。4ポイント先取のダブルスで行こう。よし……結城、石上」
「はいっ!」
え、いきなり!? ……でも指名されちゃ、しかたないよね。行きますか。美弥子、元気だなあ。

 相手は由里とあけみ。どっちも、女子硬式テニス部員。ちょっと、素人に対してそれはないと思わない? でも、美弥子はやるき満々なのよねえ。意地なのかも。

 ゲームは美弥子のサーブで始まった。
「いきまーす……はっ!」
すぱーん!
「ていっ!」
ぱかーん!
「とあ!」
ばしっ!
「ふんっ!」
ばんっ! ……あ、ボールが浮き上がったっ!
「秋子、チャンス!」
「了解っ……てや!」
すとん……って、あう、力一杯振ったつもりなのに、ネットを越えるのがやっと。
「え、ああっ……」
「わわ」
あ、あれ? ふたりとも猛ダッシュしてくる。ってことは……。ころころ。
「ナイスフェイント、秋子!」
「え、えへっ」
そ、そんなつもりじゃなかったのにぃ。
「やられた〜」
だから、ちがうんだってばあ……。

 結局敗けちゃったんだけど、美弥子のすっごいサーブと、あたしのフェイント? のおかげで、4対3と善戦した、らしい。あんまりうれしくないのは、どうしてなんだろう……。

 ゲームセット。
「ふう……結局敗けちゃったかあ」
「しかたないよ、美弥子ちゃん。相手が悪かったから」
敗けちゃったけど、まあまあ頑張った、と思う。だって、硬式とはいえ、テニス部員相手だったんだし。
「うー……もうちょっとサーブのスピードがあれば、もしかしたら」
「もういいって。こんど頑張ろうよ。ね」
「……そーね」
「結城美弥子選手のサーブは最高だったよ、ね?」
……ほんとはちょっと怖かったんだけど。
「……うん。ありがと」
でも、美弥子とペアでよかったよ。ほかの子とだったら、ちょっと自信なかったかも。

 ふっと、美弥子に耳打ちされた。
「……秋子。あっちに男子がいる」
「どこ?」
「ほら、水のみ場の向こう」
「ほんとだ」
男子は敷地外をマラソンだったみたい。みんなへとへと。地面に転がってる子もいる。軟弱だぞー……って言って走らされてもいやだから、言わないでおこっと。
「あ……こっちに気がついた?」
「え?」
「あ、やっぱそうだ。見てる見てる」
やだなあ。あんまり、見ないでよね。なんか恥ずかしいじゃない。
「やっぱり、世の男どもはこの美弥子さまの脚線美にくぎづけかしらん。ふふ」
「み、美弥子ちゃん。は、恥ずかしいよっ」
「……あれ、あんた、ジャージのままなの?」
「美弥子ちゃんこそ、どうして短パンなのよ」
「もっちろん、男どもの視線をくぎづけにするためよん」
「どうしてそんなことしなきゃいけないのよ」
「あーあ、秋子はこれだから子供なのよねえ」
「ちょ、ちょっと美弥子ちゃん」
「おーい」
わ、わあ! 手なんかふらなくていいって!
「やめてよお、恥ずかしいって」
……あ、史裕くんも見てる。や、やだ……。

 にこっ。

 ……え?あれは、あたしのほうを見てたの? それとも、自意識過剰すぎるかな。

 男子は集合がかかったのか、水のみ場から校舎の影へ移動していった。
「あー、もう行っちゃうんだ」
「も、もういいよお」
「ふ、でもまあ、とりあえず見せつけてやったし。いいか」
「美弥子ちゃん……」
この子はこの子で、何考えてんだか。

3

 数学の小テストが帰ってきてた。あたしも美弥子も、史裕ノートのおかげで、実力をはるかに越えるすごい点数がついてた。か、かえってやばいかも、これ。

「史裕っ」
「はい?」
「ふふっ。じゃーん」

 美弥子、それがとってもうれしかったらしい。授業が終わると、史裕くんのところへ見せに行くくらいだもん。
「え、えと……小テスト、ですよね」
「うん。史裕、すごいよ。結局6問全問あてちゃったんだもん」
「20問も言えば当たりますよ」
「ううん。あたしたちじゃ全然わからなかったと思う。ほんと、ありがとう」
「いやいや」
「で、お礼と言っちゃなんだけど。きみの不得意な教科って、何?」
……ん? なんか妙なこと聞いてる。
「はあ、不得意ですか……」
「うん」
なんでそんなこと聞くのかな?
「……そうですねえ。不名誉な話なので、あまり言いたくはないのですが」
「う、それもそうだけど。でも、わかんないこととかあったら、教えてあげられるものなら教えてあげよう、って思って」
「はあ……って、え?」
「世の中はもちつもたれつ、よ」
「そ、そうですか……」
たまにはいいこというじゃない、美弥子。そっか。あたしが得意な世界史か、美弥子が得意な英語なら、もしかしたら教えてあげられるかも。なんか、あのノートのことでは、大きな借りができちゃったし。
「ううむ……」
「なやむなっ。男の子ならすっぱりといいなさいよ」
「……じゃあ、逆に聞いていいですか? 美弥子さんの得意な科目はなんですか?」
「あたしは英語」
「……じゃ、英語でわからないことがあったら、聞いてもいいですか?」
「もちろん。おねえさんに、どーんとまかせなさいっ」
「はあ。……覚えておきます。じゃ今日はこれで」
……あ、帰っちゃう前に、あたしもフォローしとかないと。
「史裕くん、あたしも。あたしは世界史だったら」
「そ、そうですか。どうもわざわざすみません」
史裕くん、ぺこっと頭を下げると、なんだかそそくさと出ていってしまった。

「……!」
……え? み、美弥子……。一瞬だけど、美弥子の目が、怒ってた。

 その日も美弥子と帰ったけど、あんまり話をしなかった気がする。数学ノートの件は、お礼しないといけないね、って言っただけ。

 美弥子。あの目は、なんだったの?

第7章 -- 夏はもうすぐ

1

「太平洋高気圧の勢力が強まってきました。これにともなって……」

 いいお天気の日曜日。テレビの天気予報は、あと数日で梅雨明けだろうって言ってる。もうすぐ夏なんだね。

 来年の夏は、あたしも受験だから、おもいっきり遊べるのは今年限りかも。だったら、美弥子と、海とか、山とか、遊びに行くのもいいな。うん、楽しみ楽しみ。
「秋子」
あ、おかあさんが呼んでる。
「なに、おかあさん」
「美弥子ちゃんが来てるわよ」
「はあい」
遊びに来たのかな。

「おっはー♪」
美弥子ちゃんのあいさつは、いつもこれ。
「おはよう、美弥子ちゃん」
……ってもうお昼なんだけど、ついついつられちゃうのよね。

「ねえ秋子、これから、暇?」
「え、あ……うん。とくに用事はないけど」
「じゃ、ちょっと。お買い物行かない?」
「うん、いいよ。どこへいくの?」
「たまにはちょっと遠出しようよ」
「あ、うん。いいね」
「じゃ、決まり。行こう♪」
……美弥子、お化粧も服もばっちり決めてきてる。最初から出かけるつもりだったね? 確信犯っていうんだよ。そういうの。
「ちょ、ちょっと待って。あたしも着替えてくるから」
「あ……うん。じゃ、ちょっと待たせてもらっていい?」
美弥子、口ではそんなこと言いながら、すっかりうちへ上がるつもりでいるし。しょうがないなあ。
「うん。あがってて」
「サンキュ……おじゃまします」

 淡い色合いのブラウスに、セミロングのスカート。ちょっぴりルージュを引いて、と。
「美弥子ちゃん、お待たせ」
「あれ? 秋子、早いわね」
「そ、そうかな」
美弥子はもっと時間かかってそうだけど、あたしはこれでいいの。
「うーん……なんかこう、迫力不足っていうか……うーん」
「……あたしはこれでいいよ」
「そうかなあ……ま、いっか。秋子だし」
それ、どういう意味かなあ、美弥子。

2

 到着。……いつ来てもここって人が多いなあ。日曜日の昼間なんて、人にぶつからないで歩けるんだろうか? みんな、よくこんな狭いところに集まるね。
「秋子。あっち行こう」
美弥子が指さすのは、有名なファッションビル。そっか、たまにはおしゃれな服を買おう、ってことかな。
「うん……」
「秋子? あんまり乗り気じゃないわね?」
「え? そ、そんなことないよ」
「ふーん。じゃ、しゃきしゃき行きましょう」
美弥子が元気なだけだよ。

 ついたのは水着売り場。
「さて、どれがいいかなあ♪」
「……美弥子ちゃん?」
「なに、秋子」
「水着だよ、ここ」
「そうだよ? だって、水着買いに来たんだもん」
え、聞いてないよ。そういう話だったら……えーと。どうするんだっけ。
「来年は遊べないんだから。今年くらい海行きたいよね」
それは賛成。
「せっかくだからおニューの水着買おうよ」
……で、なんでそこからそうなるのかな。
「うーん……」
「それともなに、秋子、もう新しいの買ったとか?」
「ううん」
「じゃあいいよね? さ、どんどん見ていこう」
え、ちょ、ちょっと……。

「じゃーん」
美弥子が選んだのは、黄色のビキニ。ボトムの両サイドにリボンがついてて、紐っぽく見える。
「わあ、大胆」
「うふふふ。ま、これくらいはねっと。で、秋子は?」
「これ」
あたしは緑のワンピース。フリルとかリボンとかついてない、シンプルなもの。
「あんたねえ……。またそういう色気のない」
「別に……。シンプルなのでいいよ、あたしは」
「ちょっと来なさいっ」
「きゃっ」
ど、どこへ行くのよお。

「ほら。こんなの、どう?」
「う、うーん……」
さっきから美弥子に見せられてるのは、大胆なカットのビキニとか、フリルつきのとか、そういうのばっかり。そんなの、恥ずかしくて着られないってば。
「あれもダメ、これもダメ……。どうしたもんかなあ」
どうしたものかって言われても、ねえ。
「うーん。じゃ……このへんで妥協するか」
美弥子が見せてくれたのは、緑のワンピース。肩のところにひもがないけど、それ以外はさっきあたしがもってたのと似てる。
「うん……」
「さ、着てみて、着てみて。それともあたしが着替えさせたげようか」
「わ、そこまでしなくてもいいよ」
美弥子、ほっておくとほんとにやりかねない。しょうがない、覚悟決めますか。

「わあ、とてもよくお似合いですよ」
着替えて出てきたら、店員さんがほめてくれた。どこまでセールストークなのかは知らないけど。
「へー……。いいんじゃない? ねえ」
美弥子も……どこ見てるの。
「ええ。ほんと、かわいいですよ」
店員さんはにこにこしてる。それはそうよね。店員さんだし、似合わないー、なんて言えないもの。
「……秋子。これで行きなよ」
え? そ、そうかな……?
「ばっちり似合ってる。あたしが保証するよ。というわけで、店員さん、これくださーい」
「はあい♪」
ぎゃ。美弥子、勝手に決めないでよお。

 結局、半分押しつけられた形で、ワンピースを買うことになってしまった。
「さてと。あとはどこへ行くか決めるだけね」
「何それ」
……オチはついたけど、これ、いつ着るんだろう。

3

「あ。あれって史裕じゃない?」
「ほんとだ」
うちの近くの駅まで帰ってきたとき、どこかで見た影を見つけた。史裕くんだと思うんだけど、でも、彼のうちって、この近くじゃないよ?
「史裕ーぉ」
……影が振り向いた。

「秋子さん、美弥子さん……。どうも、こんにちは」
「こんにちは、史裕くん」
「こんち。……ん、何を抱えてるのかな?」
見ると、史裕くんは本屋さんの袋をもってる。そうか、買い出しなんだ。
「これですか? まあ、雑誌ですよ雑誌」
「ふーん。もしかして、えちい雑誌ぃ?」
わ! 美弥子、なんてこというの!?
「え、いや、そんなことは……」
「お。その動揺、怪しいわね♪ おねーさんに見せてみなさいっ」
……史裕くん、美弥子に遊ばれてるなあ。
「あ、いや……見てもつまんないですよ」
「いーから見せてよ」
「……はあ。はいどーぞ」
がさがさ……ん?
「だ、『大学への数学』う?」
数学の得意な史裕くんらしいといえばらしいけど、ちょっぴり期待はずれだったりして。……あ、こら、秋子、なんてこと考えてるの!?
「なーんだあ……はい、返す。つまんないの」
「だから言ったでしょ。つまんないよって」
「ぶーぶー。つまんないぞー」
「美弥子ちゃん……。そんなにブーイングしないの。史裕くん、困ってるよ」
「だってー」
まあ、本気で怒ってるわけじゃないだろうけど。
「まあまあ。……史裕くん、それ、毎月買ってるの?」
「一応。増刊号も買ってますけど」
「さすがだなあ。数学が得意っていうだけあるよ」
「いやあ、まあ……これに解答がのるような人に比べたら、まだまだ、ですけどね」
「そ、そうなんだ」
……いったいどんな人が解答をのせてるんだろ。世界が違うよ。
「では、わたしはこれで」
え、もう帰っちゃうの?
「あたしたちが何してたかは聞かないのね?」
「美弥子さん……お買い物、だと思いますけど。ただ、それ以上詮索しないほうがいいかと思いまして」
「……む。それ、どういう意味よ」
「そ、それじゃあ、またあした」
……史裕くんが逃げるように去っていった。
「あ……。行っちゃった」
史裕くんが去った方角を、美弥子がにらみつけてる。
「まったく、史裕って男は。もうちょっとくらい、話につきあってほしかったんだけどな」
うん。そうだね。でも、袋の中身を詮索されなかったのは、助かったよ……。
「せっかくだから、あいつもさそおうかと思ってたのに」
……え? 美弥子、そんなこと考えてたんだ。全然思いつかなかったよ。

 史裕くんと、美弥子と、三人で、海、かあ……。

 そう考えると……あれ、なんだか、顔が火照ってくる。
「あ、秋子? なに顔赤くしてんのよ」
「え? あ、な、なんでもないよ。美弥子ちゃん」
「……なんでもないわけないでしょ。そんな顔して」
「う、ううぅ」
「……ま、いいけど」
……た、助かったよ。
「なんとなくわかるからね」
わ、全然助かってなかった。ってことは、つまり……。
「三人で海へ行こうよ、ね」
「う、うん」
あ……。つい、うなずいちゃった。美弥子も考えてることは同じだったんだ。
「よし。なら、なんとかあいつを説得しなきゃね」
「……うん」
そうだね。ひとりでも多い方が、きっと楽しいよ。

第8章 -- ラストスパート

1

「あーあ……」
学生って、これがあるから憂鬱なのよね。もうすぐ楽しい夏休みなのに。

 何だと思う? そう。期末テスト、ってやつ。あーあ、これさえなければなあ。
「秋子……」
美弥子だって元気ないし。たぶん、『テスト、どーする?』って言うよ。
「テスト、どーする?」
ほら。まったくそのまま。
「どーするもこーするも、勉強するしかしょうがないじゃない、美弥子ちゃん?」
「うー……」
あたしも美弥子も勉強はあんまり得意じゃないけど、美弥子の方がどっちかというと苦手にしてる。というか、美弥子って、体を動かす方が得意だから。
「……そうだ。また勉強会しよっか」

 美弥子とは、中学のころから、高校受験やらなんやかやと、よく勉強会をして、よくわからない科目とかを教えあったりしてた。もっとも、ふたりとも、勉強会が終わったあとのおやつのほうを楽しみにしてたんだけど。
「そうか、やっぱりそうだよね。秋子、よろしく」
「うん。こっちこそ」
「……そうだ、いーこと考えたっと」
うん? なんだろう。美弥子のこういう発言は要注意なんだけど。
「ふふふ。秋子、今回は強ーい味方がひとりいるわね」
「強い味方?」
「そ。か・れ」
……あ。
「史裕くん?」
「そーよ。彼を巻き込んだら、きっと数学は楽勝よ」
なーるほど。
「さすが、美弥子ちゃん。そういう悪知恵だけはまわるわね」
「こら秋子、悪知恵とはなによっ。そういう秋子には、史裕貸さないぞ」
「わ、ごめーん。冗談だよ」
「あははは。……よし、さっそく聞いてこよう」
美弥子、スキップして行っちゃったよ。そこまで大げさでなくても。

 あ、美弥子が帰ってきた。
「美弥子ちゃん。史裕くん、どうだって?」
「うん、OKだって」
「よかったね」
「ただ……、場所を確保しないといけなくなっちゃったの」
どういうこと? いつもだと、うちだよね。
「そのね。『じゃ、秋子んちで』って言ったら、『女性の家は勘弁してください』だって。そんな遠慮することないのにね」
意識しすぎだよ、史裕くん。うちだったら、全然かまわないよ?
「じゃあ、あたしが言ってこようか?」
「……うん。頼んだ、秋子」

「史裕くん」
「あ、こんにちは、秋子さん」
「さっきのことなんだけど……」
「さっきの……あ、美弥子さんが言ってた件ですか。やっぱり勘弁してください」
「うちは全然かまわないって。駅も近いし、帰りも楽だよ?」
「え、いや……その」
「……じゃあ史裕くん。きみはどこがいい?」
「はい?」
「どこなら大丈夫なの? 美弥子ちゃんちとか?」
「そ、それもちょっと」
「だからといって史裕くんちってわけにもいかないのよ」
「は……そうですか?」
「一応、先生のうちだもの。不正行為したって思われちゃいやだから」
嘘。そんなこと言う人いない……だって、これが本当だったら、先生の子供は勉強できないじゃない。
「う……そ、そうですね、それは困ります」
あ、信じてるし、よしよし。
「ということでー、やっぱりうちでしょ」
「はう……はい」
「ふふっ、決まりね。じゃ、放課後ね」
「はあ……」
……あの。なんでそんなにいやがるのかなー。あたしのこと、嫌い?

 美弥子が心配そうな顔でこっち見てる。さて、報告しに行こう。
「美弥子ちゃん、作戦成功♪」
美弥子の顔がぱっと明るくなった。
「おー、秋子。やるわね。どーやったのよ」
「ふっふっふー。『史裕くんちだと先生のうちでしょ。それは不正よ〜』ってね」
「うわ。そんな根も葉もない嘘を」
「引き込んじゃえばこっちの勝ちよ。ね、美弥子ちゃん」
「うわー。あたしなんかより秋子の方が、よっっっぽど悪知恵まわるわねえ、ん?」
「う。うるさい」
うー、逆襲されちゃったよ。いらないこと言わなきゃよかった。

2

 放課後。テストが決まると、授業時間は少し短くなる。
いつから勉強会やるか、決めておかなきゃね。
「美弥子ちゃん」
「ん? なに、秋子」
「いつから始める? 勉強会」
「うーん……期末が始まるまで、意外と時間ないのよね」
もう2週間くらいかな? 最初の試験が始まるまで。
「もう今日からでもやりたいくらい。どう、秋子?」
「今日からか……うん、あたしはいいけど」
「そっか、今回はもひとり増えたんだっけね」
「うん……増やした当の本人がとぼけないでよね、美弥子ちゃん」
「はうっ。じゃ、じゃあ、聞きに行きますか」
「うん」

「え、今日から……ですか?」
「うん」
史裕くんはやっぱりちょっととまどってる。
「ええと……わたしはかまわないのですが、本吉先生がなんというかな」
「あ。一応、ご両親がわり、なんだっけ」
「ええ。ですから、先生にも一応聞いてみます。それで問題なければ」
「うん」
「じゃ、ちょっと行ってきますね」
……がらがら。
「そういえばそうか……」
「待つしかないよ、秋子」
「うん……あたしたちも職員室へ行けばよかったのかもしれないけど、『行ってきます』って言われちゃね」
「うん。待ってて、って言ってるも同然よね」
「はあ……」
すぐ近くに聞ける人がいる、ってのはいいけど、いまだに親の許しを得ないと外にも出られないなんて。
……ぱたぱた。がら。
「ども、お待たせしました」
「あ、史裕くん。どう?」
「えーと。『あんまり遅くなるなよ』だそうです」
「よし。じゃ、さっそく行こう!」
「……はい」
ちょっと史裕くん。そんな、護送車に乗せられた囚人みたいな顔しないでよ。情けないなあ。

「ここだよ」
「……本当に近くなんですねえ」
うちは駅の裏通りをひとつ入ったところにある。裏通りは商店街になってるからにぎやかなんだけど、ひとつ通りをそれるだけで、閑静な住宅街になる。美弥子のうちは、裏通りのどまんなかにあって、ほんとにふたりともすぐ近くなんだ。
「ただいま。さ、あがってあがって」
「はーい、おっじゃましまーす」
美弥子はもう上がり込んでるし。
……ぱたぱた。あ、おかあさん。
「おかえりなさい、秋子。お客様ね?」
「うん。今日から、勉強会やるから」
「そう、テストが近いのね? いつも一夜漬けなんだから」
わ、おかあさん。いつもそのネタなんだから。
「ふふふ。美弥子ちゃん、いらっしゃい」
「はい、おじゃましてます」
……ってもうあがっていってるし。

 おかあさんが史裕くんを見た。
「……秋子。こちらの男の子は?」
そうか、おかあさんには紹介してなかったんだっけ。
「クラスメイトの……」
「本吉史裕、と申します」
ぺこり、と頭を下げた。
「本吉さんね。いらっしゃい。遠慮することないから、ゆっくりしていきなさい」
「は、はあ……」
「秋子。おかあさん、おやつの用意しておくわね」
そういっておかあさんは、奥へ消えていった。

「……あの。ほんとによろしいんですか?」
史裕くん、まだ遠慮してるし……。
「大丈夫だって。ほら」
「はい。……なれば。失礼いたします」
「はいどーぞ」
やれやれ。ちょっと、思いやられるよ。

3

 勉強会は思ったより進んだ。史裕くん、数学だけじゃなく、理科も得意だったみたい。
「生物はあまり得意じゃないんですが……」
とかいいながらも、どんどん問題を解いていくし、丁寧な説明がわかりやすかった。もうほとんど、教わりっぱなし。
「はあ……あたしたちの出番、ないね」
「ほんとだ」
困ったものだけど、いいか。英語とか世界史とかだったら、教えてあげられるかも。

 ぴ、ぴ、ぴ、ぽーん。
「あ。もう4時かあ」
「……たしか、始めたのが2時だから、2時間集中してたんだね」
けっこう集中できたな。数学の出題範囲とか、ほとんど終わってるし。

 ……こんこん。
「秋子。ちょっと、休憩にしない?」
「あ、おかあさん。ちょうどいいね」
「わあ、おやふだあ」
美弥子、口にもの入れてしゃべらないの……ってもうつまんでるの? まったく、ちょっとは遠慮しなさいって。
「秋子んちのおばさんのクッキーって、おいしいのよね」
「あら美弥子ちゃん。ありがとう」
「いーえー。こんなおいしいものいただいてるんですもの、当然ですわ」
「ふふふふ」
美弥子ってば、また変な会話してる。いつもこう。ところで史裕くんはと……あ、やっぱり遠慮してるし。もう。
「史裕くん。きみもひとつ食べてみて」
「はあ……」
「遠慮することないって。ほら」
「は、はい……では」
ぱく。
「……!」
「どうかな、史裕くん」
「いかがですか、本吉さん?」
「……そうですね、たいへんおいしいと思います……」
……ため息つきながらいうセリフじゃないよ、史裕くん。
「そうですか、よかった。えんりょせずどんどん召し上がれ、本吉さん」
「……はい」
はい、とは言ったものの、史裕くんは手をつけようとしない。なんだか逆に落ち込んでるよ。
「史裕くん……。どうしたの」
「え? い、いや、なんでもないですよ」
「嘘。でなきゃ、おいしいもの食べて顔が笑わないはず、ないよ」
「……その」
「うん、聞いてあげるから。友達だから、ね」
「秋子さん……。友達、ですか……」
ますます暗くなる史裕くん。本当に何かあったんだ。
「……実は」

 大変なことだった……。史裕くんのおかあさんが、おやつを得意にしてて、とくにクッキーが大好き。でも、あの事故以来、史裕くんは、ご両親と連絡が取れていないって……。それで、クッキーを食べたら、そのことを思い出して。
「……すみません。とても個人的なことで、みなさんに心配かけて」
「いいよ。こっちこそ、知らなかったとはいえ、つらい話させちゃったね。ごめんね」
……史裕くんが、小さな子供みたいに見えた。
「大丈夫。史裕くんが、そんなに大切に思ってるご両親だもの。絶対、大丈夫だよ」
気がついたら……あたしは、史裕くんの髪を撫でてた。
「大丈夫だから、ね」
……史裕くんが落ち着くまで、あたしは彼の髪をゆっくりと撫でてた。
「秋子さん……。ごめんなさい」
「あ、ううん。いいの。友達だから」
「そうですよね。……秋子さん、いつぞやも言ってましたからね。『友達だから、楽しいことも、つらいことも、分かちあおう』って」
「うん」
……よく覚えてるなあ。でも、あたしを友達と思ってくれてることが、とてもうれしい。

「……」
美弥子? どうしたの?
「……そ、そろそろ、続き、やろっか」
あ。そうだ、勉強会なんだっけ。とっととやらないと、追いつけない。
「うん。えーっと、教科書の……」
そのあとの進み具合いは、ちょっとおかしかった。美弥子、あたしに聞くより史裕くんに聞いてばかりで。どうしたのかな。

「証明終了……あ、7時になりますか」
ほんとだ。またこんなに集中してたんだね。
「そろそろおいとましないといけませんね」
「ま、まだ大丈夫だよ」
美弥子、あわててるけど。でもまだ大丈夫だよね?
「……バスがなくなっちゃうと困るんですが」
あーっ! そ、そういえば史裕くんのうちは、バスがないと遠いんだっけ。
「はあ。しかたないか。史裕だけでも、送っていくしかないか……。秋子、休憩ついでに、行こ」
「そうだね。じゃ、史裕くん」
「あ、いや、べつにひとりでも帰れますけれども……」
もう、そういうとこで、遠慮しないの。
「行くよっ」
……あ、美弥子、史裕くんの手なんかとっちゃってる。
「うわ……か、かたづけくらいやらせてください」
「え……あ、ごめん」
史裕くん、まっかっかになっちゃってる。大丈夫? っていうか、そんなに免疫ないの?

 それとも、美弥子のことが……?

 ……頭の中でいろんなことがぐるぐる渦巻いてる。どうしよう、どうしよう……!
「えと、じゃあ、そろそろ行きます。おふたりとも、お疲れ様でした」
「あ。だから送るってば」
「うん」
「その……はい」
「あたしも行くよ」
どうしても、美弥子とふたりだけにはさせたくなかった。どうしてだかはさっぱりわからなかったんだけど、どうしてもそうしちゃいけないような気がした。

 三人で駅まで出てきた。史裕くんは、ここから電車とバスに乗って帰る。
「それじゃ、また明日ね」
「うん。また明日」
「え……明日も、ですか」
そういう言い方はないよ、史裕くん。
「もっちろん」
「うは……はい、わかりました。なんとかします」
「絶対だよ。ダメでもひっぱってくから」
わ、美弥子過激。でも、あたしも同じ気持ち。
「……じゃ、ここまでで。さよなら、美弥子さん。秋子さん」
「さよなら、史裕くん」
「さよなら」
……改札の向こうに彼の姿が消えるまで、あたしたちふたりは立ち尽くしてた。
「明日も来てくれるかな」
大丈夫だよ、美弥子。来てくれるよ、きっと……。

 そのあとの勉強会は、なんだか身が入らなかった。ちょっとだけ残った数学の範囲がわからなくなっても、
「あのね……あ」
……もう、いないんだよね。

4

 それから数日。

 テストまでもう日数がなくなってきた。勉強会はつづけてるけど、史裕くんは遠慮して来なくなってた。ふたりだけの勉強会って、ちょっとさびしい。

 そして。なんだかんだ言っても、期末テストは容赦なくやってくる。

 最初は、選択の理科から。あたしと美弥子は生物。史裕くんは別の教室で、物理だって。
「さーて諸君、お楽しみのテストだあ。用紙を配るから、とっととやりやがれぃ!」
ちょっと先生、そんなセリフ、やめてくださいっ。

 ……

 からんころん。終了のチャイムがやっぱり容赦なく鳴る。
「終了だ。鉛筆を置いて手を上にあげろぉ。ほらそこ! ほーるだあっぷ!」
先生、芝居がすぎます……。
「……ようやく終わった」
「秋子。まだ1時間終わっただけなのよ。気を抜かない」
「はうっ」
そ、そうなんだけどさー……。

 その後もテストは、ばたばたと続いた。終わったのはいつもの授業時間と同じ……。
「はう……」
「つ、つかれた……」
美弥子もあたしも、ぐったりとつかれてた。でも、あたしたちは5科目だけだったから、今日だけでおしまい。うーん、解放感でいっぱいだよー。
「美弥子ちゃん、おつかれさま」
「あ、秋子も。やっと終わったねー。これで、終業式まで授業ないんだっけ」
「うん。だから、あたしたちは、明日休みだよ」
「平日で休みなんて珍しいよね」
「うん。変な時間割りのせいだけどね」
「ま、ありがたく休みを満喫しましょー。ね、秋子」
「もちろん」

 ……とそこへ、史裕くんが来た。
「あ……ども。おふたりとも、おつかれさまです」
「史裕くん、おつかれさま。テスト終わったね」
「……はい? あの、わたしはまだ3科目も残ってますが」
はあ!?
「まだ化学と現代国語と世界史が残ってるんですけど……」
「ど、どうしてまた……」
「受けようと思ってる大学が、それだけ科目を課すんですよ。それで」
「うわあ、大変……」
じゃあ、明日も休みじゃないんだ……。大変だよ、それ。
「うーん。せっかくだし遊ぼうかな、と思ってたけど、残念」
「うん……あ、でも」
「何? 秋子」
「世界史が残ってる、って言ったよね。最後に特訓しよっか、史裕くん」
「……あ」
「ほかの科目はどうなのかな、史裕くん?」
「……めどは立ってます。なれば、お願いしてもいいですか」
「うん。じゃ、すぐ行こう。美弥子ちゃんも来るよね」

 美弥子が、ふるふる、と首を振った。

「……あたしはいい」
「……えっ」
美弥子……。何をするにもふたりだったのに。
「大丈夫だよ、秋子。あたしたちのテストはもう終わったんだから、つきあってあげなよ」
美弥子、いいの? 置いてっちゃうよ。
「それより、あんまり時間ないよ?」
「う、うん……。それじゃ、行こう、史裕くん。また明日ね、美弥子ちゃん」
「ばあい、秋子、史裕」

「……秋子。貸し、一ね。……絶対、敗けない」

第9章 -- Sunshine Day

1

「わぁ……」
「きれいだねーっ」
「……海、ですね」
「なに当たり前のこと言ってんのよぉ」

 史裕くん、美弥子、あたし。三人で海に来た。

 話は少し遡る。終業式のあと。
「成績表とテストの結果は全部受け取ったか? 宿題も持って帰れよ」
「はい」
「あとは……まあ、高校生に言うことじゃないかもしれないが。休みだから、海とか山とか行くだろうが、くれぐれも安全にだけは気をつけてくれ。事故のないようにな」
「先生。それは、事故ると処置が面倒だからですか」
「あー。PTA やら、教育委員会やら、警察やら、うるさくてかなわん。とくに PTA がなあ。こう……『先生の監督責任はどうなんザマスの』ってな。……こら。いきなりンなこと言わすな」
あははは。PTA のおばさんの真似までしなくていいのに。
「とにかくだ。休みの間は、みんな自由だ。遊ぶも、勉強するも自由だ。ひとまわり大きくなって帰ってこい」
「かっこいいっすね」
「うるせ。じゃ、きょうはこれで解散! また二学期な」
「起立。礼」
「さよならー」
こうして一学期が終わった。本吉先生、話が短いから好きだよ。

「史裕。秋子」
「……はい?」
「うん、なに? 美弥子ちゃん」
帰ろうと思ってたところへ、美弥子に呼び止められた。
「あのね。夏休み、予定って何か入ってる?」
「ううん、いまのところ何にも。美弥子ちゃんは?」
「あたしもなのよね。史裕は?」
「わたしは……夏期講習が少し。あとは全然」
熱心なことで。もう受験の準備なんだ。
「そっか。いつくらい?」
「お盆過ぎ、ですけど」
「……じゃ、大丈夫ね。あのね、あたしと秋子、史裕の三人で。海、いかない?」
……あ、そういえばそんなこと言ってたっけ。
「うん、いいね」
「……はあ」
史裕くん、またまた乗り気じゃない。
「あれ。こんな美少女ふたりがいっしょに行こうって言ってるのに、そこの青年はなんで乗り気じゃないのかなー」
美少女って自分で言うか、美弥子。
「史裕くん。来年の夏休みは、きっと三人とも遊べないよ、受験の準備とかで。だから行こうよ」
「え、ええと……その」
「ぐだぐだ言わない。もう、絶対つれてく。そうしちゃおうよ」
「……わあ」
悪魔だ、美弥子ってば。
「日程決めてさ。突然呼びに行っちゃおう。うむを言わさず」
……美弥子、本気だ。こうなった美弥子はちょっと怖い。
「……美弥子ちゃんがそこまで言ったら、絶対あと引かないよ、史裕くん」
「さ、さいですか……」
さすがにちょっとかわいそうだけど、でも、ほんとにあとへは引かないからなあ。美弥子って。
「覚悟決めるしかないよ、史裕くん」
「……わかりました。とりあえず、日程だけはあけておきます」
「よし、いい返事」
……でも、それって脅しっていうよね。

2

 というわけで、ほとんど脅迫だったんだけど、結局三人で海へ来たってわけ。といっても、電車で1時間くらいの、近くの海水浴場。でも、砂浜がきれいで、いいところにはちがいないし。

「到着ーっ!」
「わあ……日差しがまぶしいね」
いい天気にめぐまれてるし、砂浜に反射したお日様がとってもまぶしい。
「秋子、日焼け止めもってきたよね?」
「……うん」
「あんたは肌が白いんだから、ちゃんと紫外線対策しないとダメよ」
「美弥子ちゃんだって対策しないと、しわしわのしみしみになっちゃうよ」
「あたしは黒いからいーの」
「ダメだよ」
美弥子だってたいして黒いわけじゃないんだけどな。……なんてバカな会話してる後ろに、史裕くんがついてきて……あれ? いつのまにかいないよ?
「あれ? 史裕くんは?」
「彼? あのね。パラソル借りてくるって、先に行っちゃったよ」
「そうなんだ。気が利くね」
「ついでに場所も確保してくれるでしょ。どっかそのへんに……あ、いた。おーい」
史裕くんが、いつのまにかビーチパラソルの下にいた。
「こっちですよ」
手を振る史裕くん。さ、急ごう。
「ありがと、史裕。やっぱりパラソルよねー、雰囲気が違うわね。……史裕、借り賃は割り勘にしよう」
「え、いいですよ」
「ううん、やっぱりそのへんはちゃんとしようよ」
「……そうですか。ま、そのことはあとでもいいですよね」
「そうだね。じゃ、全部まとめて精算するってことで」
「ええ」
「おっけ。じゃ……えと、あっちに海の家があるから、着替えてくるね」
美弥子、待ってよ。
「あ、あたしも着替える」
「お二人さん、ちょっと待って」
こんどは史裕くんに呼び止められた。
「いらない荷物はわたしが見ていますから、置いていってもらっていいですけど?」
あ……。助かるよ。重たい荷物とかもあるから、置いていけるとありがたいよ。
「……貴重品とかもいい?」
「わたしが信用できるのなら、どうぞ」
史裕くん、にこっと笑って怖いこと言う。
「……ん、じゃ、預けた。よろしく、史裕くん」
「はい、たしかに。えと、これは秋子さんのぶんと」
「あたしもお願いするー」
「じゃあこれは美弥子さんの分。たしかにお預かりしました。じゃ、行ってらっしゃい」
「うん」

「秋子、ちゃんとあの水着もってきた?」
「あ、うん。……美弥子ちゃん、もしかして」
「もしかしなくてもあの水着に決まってるじゃない。せっかく買ったんだし」
「……」
そ、それはそうなんだけど。
「ふふん。史裕、どんな顔するかなー。楽しみ楽しみ♪」
うーん、なんでそんなに楽しみなの? 恥ずかしいよ。
「とにかくさっさと着替えようね」
「うん……史裕くん、待ってるんだしね」

「お待たせっ、史裕」
というわけで、ふたりとも着替えてきた。もちろん、美弥子は例のビキニで、あたしは緑のワンピース。
「どお、史裕。似合ってる?」
「……えと。その、よく似合っていると思いますよ」
「そう? ありがと。でも、あんまり見つめちゃ、いや〜よ☆」
「……ははは」
美弥子、からかいすぎだよ。
「秋子はどうかな」
え? あたし?
「え、えと……そうですね。とてもイメージにあっていると思います」
「お。表現が違うわね」
「……あ、あの、も、もう、いいですよね」
史裕くん、だんだん顔が赤くなってってるよ……。
「おーお。ま、いいか。この辺で勘弁してあげよう。さて、あたしはひと泳ぎしてくるか」
「あれ? 美弥子ちゃん、日焼け止めは?」
「バカ。日焼け止めなんか塗ったら、海に入れないよ。すぐ落ちちゃうし、油が浮いて大変だし」
え、そういうものだったんだ。知らなかったなあ。
「じゃ、ちょっと行ってくるね。史裕、秋子にここはまかせていいから。きみも着替えて来なさい」
そういえば。史裕くん、まだ来たときの格好のまま。
「そうだよ、史裕くん。行っておいで」
「え、いや。とりあえずいいですから」
「……そう? ま、いっか。じゃ、行ってくる」
「秋子さん……あなたは行かないんですか?」
う、うーん。行きたいけど……
「わたしはここにいますから。どうぞ」
「……うん、わかった。じゃ、行ってくるよ。美弥子ちゃーん、待ってー」

 このときに気づいてればよかったんだけど。なんてことだろう。

 ひと泳ぎして。
「ふう。やっぱり、楽しいね」
「うん。波もそんなに高くないし、来てよかったよ」
「そうだねー……一度、上がろうか。あんまり冷えてもよくないから」
「そっか、そろそろ」
ふたりともひと泳ぎしたところで、ビーチパラソルへ向かう。
「お、来た来た。おーい、おふたりさん」
史裕くんが呼んでる。なんだろ?
「なあに、史裕」
「おつかれでしょう。スポーツドリンク、冷えてますよ」
「わあ、ありがと」
「気が利くねー」
ほんとだよ、ここまで気づかいする人ってそうはいないよ。
「いえいえ。どうですか、楽しんでますか」
「もちろんだよ。史裕はどう」
「え……も、もちろん、楽しんでますですよ」
むむ。なんか、嘘っぽい。

「ふうん……そう。じゃ、ちょとおいで」
美弥子、何をする気かな……?
「はあ。何ですか」
「こっちこっち。ほら、とっとと来る」
「はいはい……」
史裕くんが波打ち際まで来た、そのとき。
「とりゃあーっ!」
美弥子の蹴りが炸裂した。
「わ、わああっ!」
当然、史裕くんは海へと一直線。どっぱーん。
「ふわ、わあ……」
……あれ、史裕くん。起き上がってこない……?

 ……大変、流されてる!えと、こういうときはライフセーバーに頼ろう!
「か、監視員さん! 監視員さん!」
「は、はい?」
「あの、人が……流されていってます!」
「あ、ほんとだ! いま行きます。こっちで待っててください!」
「お願いします!」
大変なことになっちゃったよ。美弥子、なんてことしてくれたの!?

 美弥子は、どうしていいかわからなくなって、立ち尽くしてる。
「美弥子ちゃん! こっち、こっち」
「あ、秋子……ど、どうしよ。あたし、あたし……」
「落ち着いて、落ち着いて! えと、今さっき、ライフセーバーの人に救助をお願いしたから。何とかなると思う」
「え、あ……うん」
「大丈夫。大丈夫だよ。信じてれば、大丈夫だから」
「うん、……うん」
大丈夫っていってるけど、あたし自身、すごく不安だった。美弥子が不安じゃないわけがない。がたがたふるえてる。
……あたしは美弥子を一生懸命抱きしめてた。

「すいませーん、引っ張りあげるの手伝ってください!」
さっきのライフセーバーの人が声を上げてる。
「は、はい! 今行きます! 美弥子ちゃん、行くよ!」
「う、うん」
史裕くんがボードの上に乗ってる。顔色が青い。
「引いて!」
「んしょ!」
……三人の協力で史裕くんを引っ張りあげた。

「大丈夫ですか」
ライフセーバーの人が声をかける。
「……あ、な、なんとか」
……よかった、史裕くん、意識あるよ。これなら大丈夫。
「はあ、よかったですよ。おぼれる前に助けに行けましたから」
「す、すみません……」
「気をつけてくださいね。あの、なんでこんなことに?」
やっぱり聞かれたか。正直に答えるしかないよね……。
「あの……」
「あたしが、蹴飛ばしたんです。波打ち際で」
美弥子……。
「ちょっとふざけてたつもりだったのに、こんなことになるなんて」
そういって美弥子がうなだれる。
「でも……あんなに流されていっちゃうなんて」
「うーん。とくに引き潮があるってところでもないんですがねえ」
ライフセーバーの人も不思議そう。
「全然こう、無抵抗に流されてったのを、ボクも見てますし……あの、失礼な話ですが、実は泳げないとか」
「……まったくもって」
……はい? 史裕くん?
「まったくもって泳げないんです、わたしは」
「……そ、それはまた」
なんてことだろう。ライフセーバーの人もたじろいでるよ。
「で、泳げない人のための水対処法その1。逆らうな、を実践したわけです」
「あ、それは正解ですよ。あと、この女の子が、すぐボクに知らせてくれたおかげで、すぐにすくい上げに行けたわけですから」
「そうですか……。じゃあ、秋子さんはわたしの命の恩人ですね」
「え、そんな」
「いやいや。あれは適切な処置ですよ。へたに一般の人が助けに行っても、逆に引きずり込まれたりすることもありますから」
「そ、そうなんですか? それだったら、ライフセーバーの人でも……」
「もちろん、我々はそれなりに訓練してますから、なんとかなりますけど」
「そうなんですか……」

 知らなかった。いろんなこと。まず、史裕くんが泳げなかったこと。それと、すぐにライフセーバーの人に頼ったのが正解だったこと。よかった。よかったけど、みんな偶然だった。知っててやったわけじゃない。だから、もしもう一回同じことがあったら、あたしは、彼を助けてあげられるのかな……?

3

「そうですねえ。もう大丈夫ですけど、少し休んでから動いてくださいね」
「はい」
ライフセーバーの人は、最後に一言だけ言い残して、その場を離れていった。
「……史裕」
美弥子……。
「はい?」
「……ごめん」
「……大丈夫でしたから。結果オーライですよ」
「でも、きみはあたしのせいで命を落としかけたんだよ?」
「大丈夫ですから。何があっても、いまはこうして生きてます。だから、笑ってください」
「史裕……」
「わたしは、あなたがたふたりがこうして海へつれてきてくれた、それだけで十分楽しかったんです。それでいいじゃないですか。せっかくの夏休み、楽しまなきゃ」
「……史裕くん」
きみは……きみは、どこまでもやさしいんだね。

「さあて……どうしますかね。海の家でまずいラーメンでも食べましょうか?」
史裕くんがちょっと無理してでも、あたしたちを盛り上げてくれようとしてる。だから、いまはその気持ちに応えたい。そのやさしさ、無駄にしちゃいけない。
「……うん。そうだね、それで行こう! 行こう、美弥子ちゃん」
「行きましょう、美弥子さん」
「……うん。そうだねっ」
美弥子。無理してるのはわかるよ。でも、史裕くんの気持ちも、わかってるよね。

 海の家やゲームセンターなんかで遊んでるうちに、あたしたちの気持ちは、すっかり晴れてた。

 すっかり日が暮れるまで遊んで、帰り道。がたんがたん、ごとんごとん。
「すっかり遊んだねー。けっこう楽しかったよ」
「うん。また遊ぼうね」
「ええ、ぜひ誘ってください」
「史裕、たまには男の子のほうからも誘ってよ」
「え、……あの、考慮はしますが、何があるか全然わかりませんよ?」
「どういう意味かなー」
「地元民のおふたりほど、このへんには詳しくありませんので」
「……う、それもそうか」
「ははは。大丈夫だよ史裕くん、ガイドブックならあるから」
「わ……墓穴でしたか」
「ふふっ。頼んだよ〜」
「はあ。しょうがないですかねえ」
「あ、史裕くん。あたしたちからも遊びによぶからね。心配しないで」
「痛み入ります……」
「くすくす」
「ぷぷっ」
「あは、あははは」
……楽しい夏休みの一日。史裕くんとの、大切な思い出。

 その後、美弥子とあたしは、本吉先生にこってりとしぼられたことはいうまでもない。美弥子はともかく……なんであたしまで。

第10章 -- やさしくなんかない

1

 なんでこの学校には登校日なんてものがあるのかな、小学校じゃあるまいし。

「おー、みんな来てるな」
先生が入ってきた。
「ぶーぶー」
さっそくブーイングが上がる。
「そうぶーぶーいうな。登校日なんてのがあるのは二年生だけなんだから」
よ、よけい悪いよ。
「一年生はそういうの必要ないしな、三年生は三年生で、毎日が登校日だしな」
えー……受験って大変なんだな。
「とりあえずだ。修学旅行の資料と……」

「むう、予定外の配布物が増えてしまったか」
「どうしたんです、先生」
休み時間。あたしはアンケートのとりまとめをもって職員室へ来ていた。
「お、石上。どうした」
「さっきのアンケートの取りまとめです。はい」
「……お、すまんな。ごくろう」
「いいえ、どういたしまして。ところで何を悩んでらっしゃるんですか?」
「む。実はな、物理教室から連絡があってな。どうも、宿題の一部に出題の間違いがあったらしい」
「……ということは」
「さしかえだ。石上……すまんが、運が悪かったと思って、すこしつきあってくれるか」
「先生……」
しょうがないなあ。でも、先生が悪いわけじゃないし。
「はい。でも少しだけですよ」
「うむ」

 ……とはいえ、段ボールに半分くらいの資料がびっしり。先生は二箱、両脇に抱えていっちゃったんだから、それに比べたら、たいしたことないんだけど。
「んしょ……」
でも、あたしの力じゃ、これをもって階段を昇るのは、けっこうつらい。
「ふう。んしょ、んしょ……」
かくん。
「え? あっ……」
足下がよく見えてなかったあたしは、一段、階段を踏み外してた。

「わああっ!」
体が宙に浮く。
段ボールの重みが、身体中にかかる。
こんなところで転んだら……よくて全身打撲、悪くすると命を落としかねない。

 いや……そんな、そんなの!

 どさっ。どかん、どん。
……空中にいた時間は、ずいぶん長く感じられた。校舎の床はリノリウム張りのコンクリート。冷たい感触……あれ、違う。なんだか暖かい。何かに包まれているような……。

「うく……」
あたしじゃない。
「だ、大丈夫ですか、秋子さん」
……え!
「その声は……史裕くん」
「大丈夫みたいですね」
あたしの目には、天井が映っている。間違いなく、階段を踏み外して、落ちた。でも、この感触は……?
「……よかった。ほんとうにぎりぎり、間に合いました」
「え?」
「秋子さんが階段を昇るのが見えたので、危ないな、と思っていたんですが……」
「あたし……」
「段ボールは止められませんでしたけど。秋子さんはなんとか……」
「あ……」
ということは、もしかして。あたし、史裕くんを下敷にしてる? ……わあ!
「大丈夫です、軽いものですよ」
「え、ええ!? あ、あのっ」
お、起き上がらなきゃっ……でも、この暖かい感触が、少しだけ離れづらい。体に回されてるやさしい手が……すこし、うれしい。
「あの……ご、ごめん」
「あっ……い、いつまでもこんなことしてちゃいけないですね」
史裕くんの手が、ぱっと離れた。あたしもそれを合図に起き上がった。案の定、史裕くんは、あたしの下敷だった。
「史裕くん、きみこそ大丈夫?」
「え、ええ……なんとか」
「よかった。……助かったよ、ほんと助かった」
「秋子さんこそ。命あっての物種ですから」
「……あ、うん」
「でも、段ボールは下の方へすっ飛んでいきましたよ」
「……あ」
あーあ、バラバラだあ。
「かたづけましょうか。さっさともっていかないと、やばいんですよね?」
「……う、うん」
「さあ、とっととやるぞー」
史裕くん、さすがに顔が赤かった。あたしもきっとまっかっかだったんだと思う。それをごまかすために、妙な気合いを入れてるよね。
「うん、とっととかたづけないと」
……ちょっと足が痛い気がするけど、大丈夫だよ、ね。

「さてと……これでしまいですかね。またころぶといけないから、わたしがもちますよ」
「え、そんな」
「大丈夫。ほら」
そういうと史裕くんは、軽々と段ボールを持ち上げて階段を登っていく。
「こんなの、軽いものですから」
「あ……うん。やっぱり史裕くん、男の子だな」
「え?」
「力持ちだよ。あたしだと、ちょっとしんどかったもの」
史裕くんは、スマイルで応えてくれた。
「……そうですね。秋子さんだって軽いものでしたから」
……え?
「あ、いや……なんでもないです」
「それに、史裕くん、やっぱりやさしいね」
「わたしはやさしくなんかありませんよ」
「……え?」
「わたしは……たまたま、とおりかかっただけ。チャンスがあっただけ」
「そ、そんなことないよ」
「わたしはやさしくなんか……」
史裕くん……?
「それより、さっさと行きましょう」
「う、うん……」

 ……やさしさって、こういうことじゃないんです。これは、親切なだけ。

2

「よし、今日はこれで解散」
「起立、礼」
……登校日ったって、半日で解散。午後からは空き。
「史裕。ちょっと待て」
先生?
「石上にたのんどいたはずの資料、なんでおまえが?」
……あ、もしかして。
「詮索はなしにしてくださいよ」
「先生?」
あたしから話そう。そのほうがいいよね。
「先生。あたしから話します」
「……石上?」
「えと」

「あぶねえな。さすがに重かったか」
先生も不覚だったみたい。
「重かったんですよ。まったく」
「いや、すまん……。だが、安全にはくれぐれも気をつけてくれ」
「ええ、その言葉、そっくりお返しいたします」
「いや……いたたた」
「秋子さん、そんなに先生を責めても」
史裕くんがフォローしようとする。でも、ここはびしっと言っておかないと。ただでさえ、普段から人使い荒いんだから。
「責任の一端は先生にもあるのよ。ちょっとは考えてほしいの」
「……ま、まあ、うーん」
「そうだな。学校でおこったことは、教師の責任になるからな」
「それだけじゃありません。かよわい乙女に、なんて重たいものもたせるんですか」
「……ぐう」
「ぐうじゃなくてっ」
「秋子さん、秋子さん。そのくらいで」
史裕くんは一生懸命なだめようとしてくれるけど……ねえ。
「うー」
「わかった。先生も悪かった。すまん。だれか呼んでくれればよかったのだな」
「ええ」
「……ふう。わかった。ところで、史裕は」
「たまたま通りがかっただけですよ」
「……ほう」
「いや、本当ですってば」
「……ほほーう?」
あ、今度はターゲットが史裕くんに。いけない。
「先生。少なくとも、あたしは史裕くんの存在を知りませんでした」
「石上?」
「史裕くんがたまたまだ、っていうなら、きっとそうです。彼がうそをつく人だと、先生はお思いですか?」
「……むう」
「先生。あえてここは聞かないのが、漢、ってもの、ですよねっ」
……先生の得意技。ここで、使っちゃえ。
「ぬ、ぬう……わかった。むう、こんなところでしてやられるとはな」
ふふ。話術は女の方が得意なのよ。
「史裕くん」
「はい?」
「……ありがと」
「いいえ。けががなくてなによりです」
「うん」

「さ、帰ろう。先生、お先に失礼します。史裕くん、途中までいいかな」
「はい」
「史裕。送り狼はダメだぞ」
「せ、先生」
ひ、卑劣な攻撃だよ、もう。
「行こう! こんな先生、知りません」
「え、ええ……」
「ははは。気をつけて帰れ」
んもう、先生もデリカシーのない人なんだから。

 と思ったとき。
「あ、あつっ……」
ずきん。……あ、足首が痛い。
「秋子さん? ……あ、足ですね」
「う、うん」
「つかまって! ほら」
……史裕くんが手を伸ばしてくれる。
「うん。ちょっと……肩、借りるね」
「ええどうぞ。保健室へ行きますよね」
「……うん」

「階段から落ちたときにひねりましたかね」
「うん……たぶん」
あのとき、ちょっとだけ痛かったのは、たぶんそれ。ちゃんとケアしないと、痛みがひどくなるんだ。
「……階段、か」
「うん?」
「秋子さん。おんぶ、しましょうか」
……え?
「足が痛いのに、階段降りるのは難しいですよ。さ、えんりょなさらず」
「……あ、あの」
「ほら」
そういって史裕くんは、広い背中を見せてくれた。
「あの。……ありがとう」
「いいえ。さ、行きますよ」
「うん」

「史裕くん……」
「はい?」
「背中、広いね」
「そうですか」
「……あたし、重くない?」
「さっきも言ったでしょう? 軽いものです」
「……女の子相手だからって、無理しなくていいよ」
「秋子さん……。本当ですよ」

 ……物言わぬ買い物袋の10キロより、秋子さんの方が軽いですよ。だって、話をしてくれるじゃないですか。わたしにつかまってくれるじゃないですか……。

3

 保健室。
「先生、患者です」
「はい……入ってらっしゃい。どうしたの」
「足首ひねりました」
「そう……じゃ、ベッドの上に」
がら。
「……のせてね」

 保健の先生の処置は、けっきょくシップ一枚。骨とか筋とかも、とくには痛めていない、っていう診断。
「……ま、ひねっただけみたいだし。これでよしと」

 先生が史裕くんと何か話している。
「きみね。もうすこし早く来てほしいなあ。というか、落ちたときにすぐつれてきてよ」
「あ、そういうものですか」
「うん。処置は早い方がいいの」
「はーい、こんどからそうします」
「……こんどがないほうがいいわね」
「そ、それもそうですね」
う、そうだね。

「痛みが引くまでは、あんまり歩かない方がいいわ。ゆっくりしていきなさい」
「はい」
……といっても、いつまでもベッドを占有するわけにもいかないから、椅子へ移動しようっと。よい……しょ。
「肩貸しますよ」
「あ……うん、ちょっといいかな」
よいしょ。
「ふう」
「……わたしは本吉先生に報告してきます。ちょっと失礼」
……あ、史裕くんが行っちゃった。
「石上さん、だっけ」
「はい」
「……あれ、彼氏?」
え、ええっ? そんなわけないよ。
「……ち、違います」
「ふーん。『ただの、クラスメイトです』?」
わあ、言われちゃった。
「うっ……は、はい」
「そうかなあ」
先生、意地悪そうな顔して言わないでくださいっ。
「でも、ふつうのクラスメイトよりは、仲よしなんでしょう?」
「え」
「ふつうのクラスメイトなら、あそこまではしないと思うの」
「せ、先生」
「ううん。いいのよ。いいお友達、でしょ。少なくとも」
「は……、はい」
「あのね。避妊はしっかりね」
……せ、先生! なんでいきなりそこまで話が飛ぶんですかっ!
「もーすぐ夏だからねー。そういうコたちが増えるのよねえ」
「……先生?」
真剣な顔になってる。
「いやホント、マジな話。ひと夏の体験しちゃうのがいるのよ、うちの学校にも」
「……はあ」
「でさ。ちゃんと避妊しないから、できちゃうのもたまーに」
……知らなかった。そういうこともあるんだ。
「そういうの、カウンセリングからして困るのよ。本気なのか、遊びなのかわかりゃしないし」
「難しいんですね」
「ま、仕事だからやるけどね。あんたも気をつけなさいよ」
「だ、だから先生……」
「ふふん。先生は、気をつけろって言ってるだけよん。しちゃいけないなんて、一言もいってないわ」
「せ、先生……」
「うんうん。純な恋愛ができるのも、高校生までなのよねーん。おばさんになっちゃあ、どうにもならないのよお。しくしく」
……せんせーい。どうリアクションしろっていうんですか。

「ども。報告してきました」
……あ、史裕くん。
「……あれ、秋子さん。顔が赤いですよ」
「な、なんでもないですーっ」
「……どうしたんでしょうか」
「ふふふ。女と女の秘密。男の子にはちょっと内緒」
先生が変なフォローをする。
「は、はあ」
……は、恥ずかしかったーっ……。

 結局、夕方まで保健室にいて、それからうちに帰った。足の方は、先生の処置がよかったのか、ほとんど痛くなかった。史裕くんは、『肩貸しましょうか』って言ってくれるけど、ほんとに必要なかった。

 でも、ちょっとだけ、史裕くんの顔が見れなかったのは、ここだけの秘密。保健の先生、うらみますよ。

 それより気になることがある。史裕くんの言葉。『わたしはやさしくなんかありません』。
どうしてなんだろう。あんなに親切な人、いないと思うのに。

第11章 -- 友達

1

「秋子。電話よ」
「だれから?」
「美弥子ちゃん。珍しいわね」

 夕方、美弥子ちゃんから電話があった。美弥子のうちは、ここからすぐ近くだから、いつも美弥子は突然現れて遊びにつれていかれる。こんなのだから、むしろ、電話なんて珍しい。
でも、そのときはちがった。

「……もしもし。電話変わりました」
「あ、秋子……」
「どうしたの、美弥子ちゃん」
「……あのね。ちょっとだけ、時間、いいかな」
「うん。いいけど、珍しいね。いつも突然来るのに」
「……どうしても、あって話がしたいの。西口の公園に来てくれるかな」
……何があったんだろう。
「うん……いいけど」
「待ってるから……。じゃ」
がちゃん。……切れちゃったよ。

「おかあさん。あたし、ちょっと出かけてくる」
「どうしたの?」
「うん……。美弥子ちゃんに呼び出されちゃったの。西口の公園まで来てほしい、って」
「そう……。行ってらっしゃい、気をつけてね」
「はーい」

「……これから何があるかわからないけど、しっかりするのよ、秋子」

2

 西口の公園というのは、うちから見ると駅の反対側にある。わざわざそんなところまで呼び出すなんて、どうしたんだろう。
「美弥子ちゃん?」
「……あ。秋子」
夕日の中の公園は、ブランコに乗った美弥子をつつんでいた。
「突然呼び出したりして、ごめんね」
「ううん、いいよ。でも、珍しいこともあるもんだね」
「……うん」
……いつもなら、ここで何かリアクションがあるはず。きっと……とっても深刻なことなんだ。
「美弥子ちゃん、何か難しい話なの」
「……難しくないけど、でも……どう言ったらいいか、よくわかんないんだ」
「うん」
「あ……あのね、史裕のことなんだけど」
……史裕くんのこと?
「……や、やっぱり言えない……かも」
「美弥子ちゃん……」

 本当は気づいてた。美弥子が、史裕くんに友達以上の気持ち、もってること。三人の友情を壊さないために、美弥子がその気持ちを押さえてること。
……でも、美弥子から話してくれないと、先へ進めないよ。

「……美弥子ちゃん。あたしたち、何があっても親友だよね」
今のあたしに、できることは、美弥子を励ますことだけ。

 ……がんばれ。

「秋子……うん」
「……美弥子ちゃん」
「……うん、決心がついたよ。秋子、あたしね。史裕のこと……好き」
「うん」
「友達としてだけじゃなくて、それ以上に……好きなんだ」
「……うん」

 ……胸の奥でちくんとするものがあったけど。でも、今は美弥子の気持ちをちゃんと受け止めなくちゃ。

「でも、史裕ってさ。いつもあたしたちふたりを見てる。どっちかだけ見てるってことはないよね」
「……あ、そうかな」
「なんとなく、そんな感じがするんだ。……あのね、秋子。聞いてほしいことって、ここからなんだけど」
「うん」
「あたし、これから史裕にすこしずつアタックしてくけど、知ってても知らないふりしてほしいの」
「……うん?」
「彼のことだから。きっと、あたしが話しようとしても、秋子のことも気にすると思うの。だって、いつもふたりペアで見られてたから」
「……うん」
「だから、その……なんていえばいいの」
「大丈夫。大丈夫だよ、美弥子ちゃん。べつに、美弥子ちゃんが史裕くんをつれてっちゃっても、いってらっしゃい、って言ってあげるから」
「……秋子」
「だって、あたしたちは親友でしょ。親友の恋路をじゃまするほど、あたしは無粋じゃないよ」

 本当はつらいけど、でも。

「秋子……ありがとう。ほんと、持つべきものは親友なり、だねっ」
……ようやく美弥子に笑顔が帰ってきた。
「当然だよ。でも、うまくいったら、いろいろ教えてね」
「こ、こら秋子。なんてことを言うか」
「ふふふ」
「あははは。……よし、がんばるぞっ」
「ファイト、美弥子ちゃんっ」

 がんばれ。がんばれ、美弥子……。

3

「ただいま」
「おかえりなさい、秋子」
あれから、美弥子をうちまで送って帰ってきた。
「……美弥子ちゃん、どうしたの?」
「うん? なんでもなかったよ」
「……うそおっしゃい」
おかあさんが急にあたしを抱きしめてた。
「なんにもないなら、そんな顔にならないものよ」
「……えっ」
「おかあさんにはお見通し。秋子、何があったの? 話してご覧なさい」
「……う、うん」
おかあさんはあたしの髪を撫でてくれていた。やさしく、やさしく。

 ……やっぱり、おかあさんには勝てないね。あたしは、一部始終を話してた。電話での美弥子のようす、告白、そして勇気。
「そう……。そんなことがあったのね」
「うん」
「でも、それだけじゃないわね」
「え?」
……な、なに?
「本当にそれだけなら、もっといい笑顔ができてるはずよ。秋子……あなたはそれでいいのかしら」
「う、うん。だって……」
「本当かしら……ううん、違うわね、顔に違います、って書いてあるわ」
お、おかあさん……。
「本当に、胸がちくちくとかしたりしないの、秋子?」
「……う、うん」
「おかあさんは美弥子ちゃんに言ったりしないのよ。本当に?」
「……おかあさん」
本当は違うの。なんだかよくわからないけど、でも、胸の奥が痛いの。大親友の大切なことなのに。どうして……。
「ほら、話してご覧なさい」
「おかあさん……おかあさん」
気がついたら、あたし、ぽろぽろと泣いていた。どうして涙なんか出てくるのかわからない。でも……どうしても涙が止まらなくて。
「うっ……うう……」
……おかあさんはあたしの髪をずっと撫でてた。きっと、みんなわかってるんだろう。あたしのことも、美弥子のことも……。
「大丈夫よ、秋子。あなたと美弥子ちゃんは、大切なお友達ですもの。きっと大丈夫。でもね、秋子……。大切なお友達のことだからこそ、自分の気持ちに嘘なんかついちゃダメよ」
「……」
「おかあさんね。美弥子ちゃんのこと、応援するのはいいと思うの。それも秋子の気持ち、なんでしょう? でも、きっと秋子も、かれのこと、好きなんだと思うの。お友達として……ううん、もしかするとそれ以上に。だから秋子。秋子も、自分の気持ちを、大切にしなさい」
「……うん」
「秋子、しっかりね」
「はい」

「秋子。美弥子ちゃんの思い人が、いい人でよかったわね」
「え……あ、うん。史裕くんって、ほんといい子だよ」
「秋子の折り紙保証付き、なんて、めったにいないわ。くす」
「あ、それ、どういう意味よお」
「秋子。あなたも頑張りなさいね」
「……う、うん」
「恋はライバルがいたほうが燃えるものよ☆」
……ちょっと、もしかして、おかあさん、楽しんでる?
「勝っても敗けても、恨みっこなし、が条件なのだけどね。秋子と美弥子ちゃんみたいな大親友なら、大丈夫よ」
「お、おかあさーん……」
遊ばれてる。ぜったい遊ばれてるよ、あたし……。

第12章 -- きらめき

1

 ぷるるる、ぷるるる、ぷる。がちゃ。
「もしもーし、秋子ぉ」
「あ、美弥子ちゃん。どうしたの? また電話なんて」
「うん。秋子、今日花火大会あるの、知ってる?」
「もちろんだよ」
「それでさ。見に行こうと思うんだけど、時間ある?」
「うん。もちろん、行くつもりだよ」
「……あのさ。また、三人で行かない?」
「うん、いいけど……どうして?」
「どうしてもこうしても……ひどいんだよ、先生ったら」
「ど、どうしたの、美弥子ちゃん」
「聞いてよお」

 美弥子、最初は史裕くんのうちへ電話して、彼を誘いだそうとしたらしい。そしたら、その話を聞き付けたらしい本吉先生……つまり彼の叔父さんが、『てめー、まだ史裕をかどわかすつもりかっ! 海の件は忘れたわけじゃねえぞ』って脅かされて。で、やっとのことで条件として出してもらえたのが、……つまり、あたし、ってわけ。

「……あーもう。ひどい話よねえ」
「うんうん。……でも、しかたないよ」
「……しかたない、か。秋子、そういうわけなんだけど」
「いいよ。どうせ行くつもりだったんだから、さ」
「わあい、ありがとー。もつべきものは親友だな」
「うふふふ。じゃあ……」

2

 夕暮れどき、いつもの駅前。せっかくの花火大会だしっていって、おかあさんが紺のかすりのゆかたを出してくれた。もちろん着付けなんてできないから、おかあさんに着せてもらって。それに、銀の髪飾り。『おかあさんが昔つけてた、大切な恋のおまじない』だなんて、ちょっと気が早いんじゃない?
「あ、来た来た。美弥子ちゃん、こっち」
「秋子、いたいた」
美弥子もゆかた姿。濃いめの水色で、あでやかな模様がすそに描かれている。いつものロングへアを、今日はちょっとアップにしてる。
「あ、秋子もゆかただったんだ」
「美弥子ちゃんだって」
「……うふふ。やっぱ、花火といえばゆかたよね」
「うん」
「史裕、なんていうかな……あ、あいつ、さがさなきゃ」
「待ち合わせは?」
「やっぱここ」
「……じゃ、電車の時間まで待ちだね」
「あ、そっか」

「2番線、上り普通列車が発車します。駆け込み乗車は……」

「あ……秋子さん、美弥子さん。こんばんは」
あたしたちが史裕くんを見つけるより前に、彼の方があたしたちを見つけてた。
「こんばんは、史裕」
「でも、よくわかったね。あたしたちがさ」
あたしたちふたりとも、ずーっと改札の方みてたのに、人が多すぎて、史裕くんがどこにいるんだか見逃しちゃってたくらい。なのに……?
「……話し声でわかるんです」
へえ……。
「正直、別の人に見えてしまいまして、間違いだったらどうしようって、内心どきどきだったんですから」
「あら、それはどういう意味かしら」
「えとその。おふたりとも、ゆかた、すてきですよ」
「……くす。ありがと」
史裕くん、赤くなってる。
「うん。ゆかた着てきて、よかったよ。ね、美弥子ちゃん」
「うんうん。うふふ」

3

 花火大会の会場は、ここから歩いて10分の河川敷。なんでも近いところにあるって、便利だよね。
「さすがに人ばっかりかぁ……」
「そうだねー」
近くの人たちがいっぱい集まる花火大会。毎回、数万人の人出を見込んでるんだそうな。今年も盛況なんだろうね。
「ひゃ!」
「美弥子さん、どうしました」
「え、えと……足、踏まれた」
あらら。
「この雑踏ですからねえ……。しかたないな、おふたりとも、わたしの後ろにくっついてもらえますか」
「え?」
「わたしが先頭に立ちますから、その影から歩いてください。これならぶつかる心配がないでしょう」
「あ、うん」
史裕くん、あたしたちより大きいから、壁になる、って言ってくれてるんだ。
「……あのね、史裕」
「はい?」
「迷子にならないように、服のすそ、捕まえてて、いい?」
「ええ、かまいませんよ」
そういうが早いか、美弥子、史裕くんのズボンのベルトを取っ捕まえてた。
「う……べ、ベルトは歩きにくいんですが……行きますよ」
史裕くんがくるりとふりかえる。大きな背中……。
「あ、美弥子ちゃん」
「なに?」
「あたしは美弥子ちゃんにつかまっていくね。絶対はなさないでよ」
「あ、うん、もちろん」
「おふたりともいいですかあ、行きますよ」
「はーい」

 人混みに揉まれて歩くこと数十分。
「あ……あのへんが空いてますね。席とっちゃいますか」
「どのへん?」
「あの土手の上ですけど」
……あの。土手の上は、カップルさんたちが、点々と並んでるんですけど。鴨川の法則、っていうらしいけど。
「う、うーん……」
「早く行かないと埋まっちゃいますよ」
「う、わあ」
……結局つれていかれちゃった。おとなりさんも、そのむこうさんも、ふたりのカップルなのに、あたしたちは三人。
「さてと。このあたりなら、十分よく見えると思いますよ」
「……は? 何を根拠に」
「理由はふたつ。どう見ても花火を見に来た人らしい人が、このへんにたくさん座っていること。それと」
「それと?」
「発射地点からの距離ですよ。真下よりも少し離れた方が見やすいですから」
え? な、なんか詳しいな。
「史裕、ここの花火なんて初めてでしょ? どうしてそんなこと知ってるのよ」
「叔父さんに聞いてきました。そのへんはぬかりありません」
……あー。なるほどね。
「納得。さすが、くさっても数学教師。理詰めで来たか」
「叔父さんに教わったのはそこまでですよ。あとはわたしの嗅覚。偶然、いいところを見つけた、といった感じですかね」
「偶然ねえ」
ここって、なんで人があんまり来ないかっていうと、毎年、カップルの指定席になってるから、なんだ。もう、先生。教えるんなら、そこまで教えておいてください。

4

 だーん!花火大会は、派手な一発から始まった。
「おー」
「わあ、上がった上がった」
「夏ですなあ」
……史裕くん、なにジジ臭い感想言ってるのかな。
「花火なんて、何年ぶりかなあ」
え、そうなんだ……。
「ま。いろいろ、ありましてね。なかなか見れなかったんですよ」
「ふーん。じゃ、精一杯楽しんでいかなきゃね」
「もちろんですとも」

 花火が次々と上がっていく。そのたびに、あたしたち三人がいろいろな色に染まっていく。

 だあん、だん。だだだ、ぱぱぱぱん。

 ふっと横を見ると。
……美弥子、史裕くんに寄りかかってる。史裕くんも何も言わない。
「……」
あたし、じゃまみたい。

 だあん、だん、だだだ、ぱぱぱぱん。

「……ちょっと、行ってくる」
「え、なに、秋子?」
花火が一段落したところで、腰をあげた。
「焼きそばか何か買ってくるよ。何がいいかな」
「……いいの? んじゃ、焼きそばかお好み」
「史裕くんは?」
「同じものでかまいませんよ」
「……うん、わかった。じゃ、ちょっと行ってくるね」
「お願いね。あたしたちは、ここで待ってる」
「どこか行ったりしないでね」
「あははは、わかってますよお」

 心のどこかで、心配な気持ちが渦巻いてる。美弥子に史裕くんをひとり占めされちゃうんじゃないかって。

「さ、どんどん行こうね、秋子」
そんな気持ちを振り払うために。無理に気合いを入れて。
「おっじさーん。焼きそば三枚!」
「あいよ!」

5

「そうですねえ……それも、いいかもしれませんね」
「あは、そうでしょっ」
戻ってきてみたら……。美弥子と史裕くんのふたりで、話が盛り上がってた。
「……」
なんだか入り込みにくい世界。まわりも、みんなカップル。……すごくお似合い。どうしても、入り込めない……。

「……あ。秋子、戻ってきてたんだ」
「うん……」
何分たったかわからないけど、美弥子の方があたしに気づいた。
「おかえり。何買ってきてくれたの?」
「焼きそば……」
「ありがとー。いくら?」
「400円……」
「うん。じゃ、はいっ」
「……うん」

 だん。だだだん、ぱぱぱん。

「あ、上がった上がった」
「……」
そのあとの焼きそばの味なんて、覚えてない。

6

 ばばばばばばばばばばばばばばば! ばーん!ひときわ大きい花火が上がった。
「……しまい、ですかね」
「えー、もうおしまい?」
「ええまあ……時間もころあいですし」
「ふーん」
……あれから美弥子、史裕くんとべったりだった。あたし、三人でいるはずなのに、なんだかひとりぼっち。
「さて……引き上げますか」
「……うん」
名残惜しいけど、もうまわりの人たちもすこしずつ減ってるし。行かなきゃ。

「じゃあ、今日はここで。どうもありがとうございました」
「ううん、楽しかったよ。また遊ぼうね」
「……またね」
史裕くんが改札の向こうに消えて行く。
「行っちゃったね」
「……うん」

「秋子。今年の花火は……いつもより楽しかったよね」
「うん」
「また来年も……三人で見れると、いいね」
「うん……」
「秋子?」
「うん? あ、そうだね。みんなで見ようね」
「うん!」
……でも、ふたりとひとり、だったよ。あたしにとっては。なんてこと、言えるはずないけど。

「それじゃまた。おやすみ、秋子」
「おやすみなさい。美弥子ちゃん」
楽しそうだったな、美弥子ちゃん……。

「ただいま」
「おかえりなさい、秋子。花火、楽しかった?」
「うん」
「そう……よかったわね。来年は見られないかもしれないから、しっかり覚えておくのよ」
「え?」
「秋子も来年は受験でしょ。勉強勉強で、花火どころじゃないわ」
「えー……」
今からそんなこと言わなくてもいいのに。
「わかった。ちょっと、着替えてくる」

「ふう。秋子……、お人好しね」

 その夜は、よく眠れなかった。美弥子のこと。そして、史裕くんのこと。
寄り添ってたふたりが、とてもよく似合ってた……。

第13章 -- 過ぎて行く日々

1

「えーと、だからここの式は、この項を右へ持ってきて……」
「うー、わかんないよー」

 夏休みなのに、突発の勉強会。発端は、一本の電話だった。
「……秋子ぉ」
「え、えええ!? どうしちゃったのよ、美弥子ちゃん」
「あのね。今日、何日?」
「8月21日」
「宿題、進んでる?」
「え、あたし? うん、まあまあ。めどは立ったよ」
「……そう。いいなあ、この裏切り者」
「え、まさか、美弥子ちゃん、全然進んでないとか」
「ぐさー……っ」
「ああもう! 美弥子ちゃん、しょうがないなあ! またなのね?」
……毎年、こう。
「またなの……。はあ」
「ため息つかないの。こうなったら、しかたないじゃない。ふたりでまた勉強会だよ」
「うん」
……あ。
「美弥子ちゃん。ことしは……三人にしようか」
「え?」
「ほら、理数系に強い味方を引き込んでさ」
「あ。そっか」
「じゃ、あたしから連絡してみるから。待ってて」
「うん」
しょうがないなあ、美弥子は。

 ぷるるる。ぷる、がちゃ。
「はい、本吉です」
「あ、先生? えと、石上です」
「お、石上か。何の用だ?」
「えと、また、で申し訳ないんですけど、史裕くん、借りられます?」
「どうした。また遊びにでも行くのか?」
「そうじゃないんです。美弥子ちゃん……あ、結城さんが宿題終わらないっていうんで、ちょっと力添えを」
「おお。なるほどな……そういうことなら別にかまわないぞ。なんだったら、うちでやるか?」
「え?」
「なに、先生もいるしな。夏休み特別授業だ。どうだ」
「……うーん。どうしよう」
「いいんじゃないですか」
「ふ、史裕くん?」
「先生もこうおっしゃることですし。どうです?」
「うーん。わかりました。結城さんと相談してみます」
「わかった。じゃ、もう一回電話くれ」
「はい」
……がちゃ。

 こういうときは、直接美弥子のうちへ行くに限る。ぴんぽーん。
「あ、秋子。どうだった?」

「ということなんだけど」
「それ、いいわね。行こうよ」
「……さっそくだね」
美弥子、にこにこ。また史裕くんに会えるのがそんなにうれしいかな。

 本吉先生のうちへのルートは、ほぼ覚えている。たまに、こっちの友達のうちとかにも来ているから、そんなに地理不案内じゃない。
「こ、こっちでいいの?」
「うん」
美弥子はそうじゃないみたい。
「ここだね」
「……ほんとだ。本吉、って書いてある」
「いっぺん来たでしょ、美弥子ちゃんってば」
「う、うん」
そうか、傘のとき以来なんだね。

 ぴんぽーん。
「はーい」
おばさま……つまり、先生の奥様の声だ。
「あの、石上と申しますが」
「石上さんね。あがってらして」
「はい、失礼します」
がらっ。
「お、石上、結城。ちゃんと来たな」
本吉先生と、史裕くんが出迎えてくれた。
「せーんせ。べつに逃げたりしませんよ」
「えへへ。こんにちは」
「あ、秋子さん、美弥子さん。いらっしゃい。ようこそこんな必要以上に遠いところへ」
「こら史裕。いらんこというな」
「本当じゃないですか」
「そういうのをいらんことというのだっ」
くすくす。先生と史裕くん、仲いいね。
「ま、まあまあふたりとも。とにかく、おじゃましますね」
「おお、あがってくれ。早速授業をやるぞ」
「うへっ……」

2

 状況は、冒頭へ戻る。
「ここはだから、yを消去したいんですよ、だから、係数を合わせて」
「うー」
もともと数学の得意じゃないふたりだから、あーうーとうなってばかり。だから、どうしてそういう係数が出てくるのかなあ?

「はあ……わたしじゃ限界ですかねえ」
「どうした史裕、ギブアップか?」
「ちょっと……これ以上、どう説明したらいいか」
「しょうがねえな。どれ」
先生?
「あー、こいつか。んなもん逆行列でさくっと」
「叔父さん! それは範囲外!!」
「う……そ、そうか、高校二年の範囲だっけな」
史裕くんも……なんで知ってるの?
「油断も隙もありゃしないなあ。……問題はそこじゃなくて」
「ふむ?」
「式を立てれば解けるってのはいいと思うんです。そんなのは訓練すればいいこと。そうじゃなくて、文章題から式を立てるあたり。どう説明するかが、難しいですよ」
「……ううむ、それは難しいな」
あのー。あたしたちは式の解き方で悩んでるんですけど。
「ちゃんと式を立てないと、解ける問題も解けないですから」
「そりゃそうだ。おかしな式をたてられても、採点する方も困る。それでも何か考えたあとがあれば、部分点もださんといかんしなあ」
……んむむ、先生。あたしたちの解答、いつもどう見てるんですか。
「ところで、石上はどの式が解けないと言ってるんだ?」
「あ……これです」
「こりゃあ……こんな高次の方程式、いきなり立てても解けないぞ。これこそそういう問題だな」
え?
「まーたしかに、方程式がとければさくっと解けるけどな。それは、そういう式を立てないために、いろいろ制約条件を使うことだ」
「はあ」
「はあってなあ。一応、先生の授業、聞いてたんだろ?」
「は、はい……」
「しょうがねえなあ」

 それから、地獄の特訓。先生、まいりました。もう許してください。

「はあ、ふう……」
「はいつぎっ! これ、因数分解っ」
「は、はいぃ……」
美弥子は美弥子で、史裕くんの特訓についていってる……のかな? 置いてかれてない?
「そうじゃないでしょう。検算は欠かさずに」
「は、はいぃ」
「こら石上。よそ見てるな」
「は、はいっ!」
ひー、先生……。

3

「みなさーん。そろそろ、休憩になさいませんか?」
先生の奥様が、お菓子とお茶を持ってきた。
「お、いいな。みんな、休憩にすっか」
「はいー……」
もうぐったり。
「秋子さん? こんな程度で参ってたんじゃ、うちじゃついてけませんよ?」
「……」
史裕くん、いったいきみって、毎日、どんな訓練されてるのよ。

「……ちょっと、席はずしますね」
史裕くんがいなくなった。
「結城。……どういう風の吹き回しだ?」
先生? なんでしょうか。
「いえ、その……。史裕、数学と理科が得意ですから、ぜひ教えてもらおうと思って」
「それだけか?」
「……え」
先生、まさか、あたしたちのこと……。
「いや、なんでもなければそれでかまわんのだがな。数学が得意な者なら、ほかにもいるだろうに。森とか、志賀とか。……まあいい、宿題はきっちりやってゆけ」
「……はい」
先生……。何を言おうとしてたんだろう。

 後半戦は、ペアが変わった。あたしと史裕くん、美弥子と先生。
「このへんですか……」
「うん、なんとかなる?」
「ええまあ。じゃ行きましょう」
「よろしくお願いします、先生」
「せ、せんせいはよしてください。そこの叔父さんと紛らわしい」
「あ」

 あれ……?史裕くん、さっきとは打って変わって、びしびしと来ない。
「これは……キーポイントはどこにあると思いますか?」
「えと、ここにこう補助線を引けば、この長さが計算できるところだよね」
「ええ、いいでしょう。実際に計算するとどうなります?」
えと……
「2ルート7?」
「残念。一カ所計算を忘れてます。これ」
「え、あ……ほんとだ。ちょうど6まで行くんだ」
「そういうことです。そこまでわかってれば、あとは大丈夫。次の問題へ行きましょう」

「ひー」
「結城、往生際が悪いぞ。さ、これを因数分解だ」
「は、はひー」
美弥子は美弥子で……同じことやってるよ。さっきと。

4

「あなた、どうします? そろそろお夕飯の準備しようかと思うのですが」
「……ん、もうそんな時間か?」
「もう5時ですのよ」
「そうか……。石上、結城。どうする?」
「え……うーん、なんとかめどがつきそうですから、それまでには」
「あらおふたりとも。ゆっくりしていっていいですのよ」
「は、はあ」
「いいじゃないか。夕飯くらいごちそうするぞ。史裕の友人として、な」
「……」
ちょっとうれしい申し出。先生の奥様が、お夕飯をご馳走してくれる、って。でも、いいのかな……。
「あたし、家に電話してみます」
「あたしも」
「そうか。電話はあっちだ」
「はい……お借りします」

「石上か」
「先生、大丈夫でした。ただ……」
「ただ?」
「遅くなるなら、先生に送ってもらえ、ですって。ちょっと厚かましいですけど、お願いできますか?」
「おお、そうだなあ。ここらは暗くなると、街灯少ないからなあ。いいぞ」
「すみません」
「先生?」
美弥子も帰ってきた。
「お、結城。そっちはどうだ」
「おーけーです」
「そうか、うん」
「じゃ、おふたりの分もご用意しますね。ふふ、久しぶりに大所帯だわ」
おばさま、楽しそう。
「家内の料理好きは筋金入りだからな。こりゃ今夜は楽しみだ」
「そ、そうなんですか」
それは、楽しみにしなきゃかえって失礼ね。うふふ。

「な、なんとか……」
「かたづきました……」
「おう、おつかれ、ふたりとも。どうだ、なんとかなるもんだろう」
「は、はい……」
もう立ち上がれないかも、と思うほどつかれきってる、けど。あんなにあった宿題の山が、ついにきれいすっきり。
「ほんと、よかったよ、史裕くんたよって正解だった」
「いやいや、わたしは何も……」
「そんなことないよ」
「うん……」
本当に、史裕くんと先生には、感謝してもしきれないくらい。だって、これ、ふたりだけだったら、夏休み終わっても終わらなかったかも。
「さあさみなさん、お夕飯ですよ」
いいところでおばさまの声がする。
「おお、いいタイミングだな。いくか」
「はーい」
「……わあ、いいにおい」
ほんとうだね。おなか、ぺこぺこだよ。

「ごちそうさまでした」
「おそうそさまでした」
おばさまが腕によりをかけたというメニューは、魚料理が中心で(『頭にいいと言われます、DHAがたっぷりですのよ』)、野菜もたっぷりという、へルシーメニュー。あんまり魚が得意じゃないあたしでも、きれいにいただけた。ほんと、おばさまってすごい人。あとでこっそり教えてもらおうかな?
「うーん、とってもおいしかったですー」
ふふ。魚嫌いの美弥子もすっきり食べちゃってるじゃない。
「いいえ、これだけきれいに食べてもらえると、作った甲斐がありますわ」
「おばさまのお料理が上手だからですよー」
「あら、うれしいわ。結城さんはお口の方がお上手ですのね」
「あ、あらっ。ほ、ほんとにとってもおいしかったんですよ」
あははは。美弥子ったら、どんな目で見られてるのよ。
「おばさま、本当ですよ。美弥子ちゃん、お魚料理、苦手ですから」
「……あら、そうでしたの? 言ってくださればよかったのに」
「でも、こんなにきれいに食べちゃったでしょ?」
「はい。うれしいわ」
「それはつまり、おばさまの腕、でしょう?」
「……はい、そういうことにいたしましょう。うふふ」
おばさま、ほんとうにうれしそう。よかった。

5

 ごはんのあとは、お茶の時間。
「秋子さん」
「はい?」
史裕くんに話しかけられた。
「あの、今日の説明、どうでした?」
「どう……って、うん、わかりやすかったよ。どこがわかってないのか、自分で気づけるって、大事なんだね」
「そうですか。それはよかった」
「うん。とにかく今日は、ありがとう」
「いえいえ。これくらいのことなら、いつでもできますから」
「なんかこう、美弥子ちゃんに付き合わせちゃった、って感じだけど」
「いいんですよ、べつに」
にこにこってしてる史裕くん。いい笑顔。あたしも自然に笑顔に……

「秋子」

 ……かたん。
椅子が固い音を立てて、床に落ちた。

「美弥子……ちゃん?」
「史裕。なんであんたたちって、そんなに仲がいいのよ」
「え?」
「今日だって。史裕を誘おうって言ったのは、あたしなのに。史裕、秋子をかまってばかりで」
「……美弥子さん?」
「なんでよ。秋子、なんで?」
「……あたしにもわからない」
「な、秋子っ」
「美弥子ちゃん。あたしは史裕くんが話しかけてくれるから、それにちゃんと応えてるだけ。美弥子ちゃんだって、史裕くんとちゃんと話すればいいじゃない」
「あ、秋子……」
「ほら。史裕くん、あっち行ってくれる?」
「え?」
「美弥子ちゃん。これでいいんでしょ?」
「……秋子!」
「なによ!」

「ふたりとも、やめてください!」

 いままで聞いたことのない、すごい怒鳴り声。史裕くんの声。
「秋子さん、美弥子さん。いいかげんにしてください」
「ふ、史裕……」
「史裕くん」
「喧嘩するくらいなら出てってください。さ」
「え……」
「出てってください! ふたりとも!!」
史裕くんはそういうと、きっ……とあたしたちをにらみ付けた。怒ってる史裕くんなんて、初めて見た……。

 ばたん。

 史裕くんの方が先に出ていっちゃった。
「あ、秋子……」
「美弥子ちゃん……」
「石上、結城。ふたりとも、帰るか」
「……はい」
「じゃ、支度してこい。すぐ、送るから」
「はい……」

「史裕さんにも、困ったものですわねえ」
「あんなに怒った史裕、初めて見るぞ。あんなに温厚なやつがな」
「……ですから、じゃ、ありませんこと?」
「どういうことだ」
「普段温厚ですからこそ、怒ると」
「どかーん、か」
「ええ……」

「先生……」
「……じゃあ、行くか」

 あたしも、美弥子も。帰り道、何も言えなかった。あの史裕くんが、あんなに怒るなんて……。

第14章 -- ふたりの思い

1

 その夜もやっぱり寝付けなかった。
史裕くんの怒鳴り声が、耳から離れない。
「どうしようかな……」
もとはといえば、美弥子の嫉妬なんだけど、それに、売り言葉に買い言葉でこたえちゃったあたしにも、責任があるよね。ごめんね……。

 翌朝。
「ふあ……うーん」
寝付けなかったせいか、やっぱり少し眠い。
「おはよう、秋子」
「あ、おかあさん。おはよう」
「どうしたの、眠そうね」
「うん……」

 隠しごとなんて、やっぱりできない。
「そう、それじゃ、今日にでも謝りに行くといいわね」
「やっぱりそうかな……」
「だって……大切な人、なんでしょう?」
「え? そ、そこまで言わないよ」
「でも。大親友の思い人なら、秋子にとっても大切な人じゃないの」
「う、うん……」
「行ってらっしゃいな」
「……うん」
おかあさんの言うとおりかもしれない。

 でも、美弥子も謝ってほしいな。ちゃんと知らせておこうっと。
ぴんぽーん。
「あら、秋子ちゃん。こんにちは」
「こんにちは。美弥子ちゃん、います?」
「……それがね。秋子ちゃんには、会いたくない、って」
昨日のこと、やっぱり気にしてるんだ。
「そうですか……」
でも、ふたりで行かないといけないと思う……。

「どうしても、ですか」
「ええ。どうしてもダメみたい」
少し粘ってみたんだけど、美弥子、動きそうにない。
「それじゃ……伝えておいてください。彼のこと……あたしのこと、友達だと思うなら、ちゃんと来てほしいって」
「わかったわ。ちゃんと、伝えておきます」
「すみません。お願いします」

 結局、美弥子は出てこなかった。

 電車とバスを乗り継いで。昨日も来た道……。
ぴんぽーん。
「はーい」
「あの……石上です」
「あら、どうしたの?」
「あの……史裕くん、いますか」
「ええ。ちょっと待ってね」

 史裕くんが出てきた。
「あ、秋子さん。どうなさったんですか」
「あの……あのね」
彼の顔が、まともに見れない。昨日のことが、頭の中を、ぐるぐる、ぐるぐる……。
「あの……」
「もしかして、昨日のこと、ですか」
「あ、うん……」

「あのことなら……わたしこそ、どなったりしてごめんなさい」
そういって、史裕くんが頭を下げた。ふかぶかと。

「おふたりとも、うれしい話ですが、わたしとお話したいんですよね。それなのに、どなっちゃったりして」
「ううん。あんなけんかになっちゃ、怒られてもしかたないよ。ごめんね」
「こちらこそ、すみませんでした」

「秋子さん、いい人ですね」
「そ、そんなことないよ」
「そんな、お友達のために頭を下げに来るなんて、なかなかできることじゃありません」
「……」
美弥子のため……に、か。
「あたしのためだよ」
「いいえ、そんなことないですよ。正確には、おふたりの友情のために、かもしれませんけど」
「うん」
……そういわれればわかる気がする。美弥子だって、大切な友達。ふたりが原因で起きたことだから、ふたりのために謝らなきゃ、って。

「……こんな人と友達で、よかった」
「え、何か言った?」
「い、いや。なんでもないですよ」

2

「えと、これから、どうなさいます?」
「どうしますって?」
「わざわざ来ていただいたんですし、何か勉強会でも」
「あ、うん、今日はいいよ。何にも持ってきてないし」
「そうですか」
「でも……少し、待たせてもらっていいかな」
「はい?」
「うん……あのね、ここへ来る前に、美弥子ちゃんにも電話したの。謝りに行こうって」
「そう……なんですか」
「だから、もしかすると、来るかもしれない」
「なるほど、そうですね。じゃあ、待ってみましょうか」
「うん」

 一時間が過ぎ、二時間が過ぎた。
「来ないですね」
「うん……」
……空が曇ってきた。
「あ……」
ぽつ、ぽつ。……雨だ。
「夕立、ですかねえ」
「うん……」

 三時間たった。雨もひどくなってきた。
「暗くなってきましたね」
「うん……」
「あきらめますか?」
「もう少し……もう少しだけ」
「……はい」

 どれくらい時間が過ぎたのかわからないけど。
「もういいでしょう」
「……」
「あんまり遅くなると、家族のかたも心配されますよ」
「……うん」
「ほら……」
がちゃっ。史裕くんが玄関の扉を開けた。そのとき。
「……あ!」
美弥子!

 雨に濡れて、美弥子が立ってた。
「史裕、秋子……」
「美弥子さん、そんなに濡れちゃ風邪引きますよ!」
「みんな、みんな……ごめんなさい!」
そういって、美弥子が泣き崩れた。
「わあああ。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 美弥子の泣き声が、雨に濡れた地面に響いていた。

3

「落ち着きました?」
「うん……もう大丈夫。ごめんね。迷惑ばっかりかけちゃってるね」
「いいえ」
おばさまの好意で、美弥子はシャワーを浴びて、おばさまの服を借りてる。あのままじゃ、風邪ひいちゃうもの。
「秋子にあんなこと言われちゃって、ちょっとショックだったな。あれじゃまるで、他人の友達、奪ってるみたい」
「美弥子ちゃん、あたしも気づかいがなかったよ。あんな売り言葉に買い言葉じゃ、怒らせたってしかたないよ」
「おふたりとも。もう、いいじゃありませんか」
そうでもないよ、史裕くん。
「よくないよ。ちゃんと謝っておかないと、あたしも秋子も、きっと気がすまないから」
「あは、そうだね」
「そういうものですか……」
「うん。それにね。友達だからって、全部、その人のことわかってるわけじゃないから。きっといい機会だったんだよ、本音で話ができて」
「……そうですか」
「うん」

「ところで、きみの本音も聞きたいんだけど、どうかな。史裕くん」
「え?」
「そうだよ。きみは……、秋子とあたし、どっちが好き?」
「え? そ、それは……」
「どっちかな?」
ど、どっちなんだろ。すっごい気になるよ。

「えと。おふたりとも、掛け替えのない大切なお友達で……」
「そういうのは聞きあきたのっ。もっとこう……」
「うーん……」

「どうなんだ、史裕」
「わあ、先生!」
きゅ、急に入ってこないでください!
「両手に花だな、史裕」
「……叔父さん。そういう言い方はしないでください、って言いましたよね」
「な、なんだ?」
「女性は花ではありません。れっきとした人ですよ。……わからない人には、体で覚えてもらうしかないんですかね」
「な……史裕、そ、それはやめ……」
「覚悟! はっ、どりゃあ!」
わあーっ! だ、大雪山投げーっ。……どっかーん。
「こ、これ以上聞かない方がいいかも」
「投げられたらやばいね……」

 ……せんせーい。大丈夫ですかあ……。

4

「あの。大変ご迷惑をお掛けしました」
「もういいの?」
「はい」
「そう、よかった。じゃあ、気をつけて帰るのよ」
「はい」
美弥子の服まで乾かしてもらったところで、あたしたちは帰ることにした。

 バスが来た。
「……ふう」
「はふ」
「秋子。ごめん」
「美弥子ちゃん……ううん、こっちこそ」
「……って、もういいか」
「そうだね」
「でも、このことでよくわかったことがあるよ」
美弥子が真剣な顔してる。大切なことなんだろうね。
「あたし……やっぱり、あいつが好き」
「……うん」
「あのね。あんまりいいことじゃないかも知れないけど、あいつとほかの女の子が話してると、ちょっとだけむっとするんだ。なんだろうね」
「……わかるよ」
言わないけど、それが嫉妬心だよ。
「でね。あたし、意外と独占欲強かったんだな、って。自分でも意外だったよ」
「うん。いつもいつも、なんでもあたしといっしょだったもんね。美弥子ちゃんって」
「自分でも知らない自分がいるんだな……って」
「あたしも知らなかった美弥子ちゃん、だね」
「えへ。笑いごとじゃないんだけどね。……で、なんでだろうって、一生懸命考えて、出てきた答えが……」
「……うん」
「やっぱり、あいつのこと取られたくない、って想い。あいつのこと、いつのまにか、こんなに好きになってたんだってこと」
「うん」
「なんか……おくてだと思ってた秋子に、逆に教えられちゃうなんてね」
「あ、ひどい」
「ふふ。でも、もうひとつ気づいたことがあるよ」
「ん……なに?」

「秋子も、あいつのこと、好きでしょ」

「え?」
な、なんで……なんで?
「わかるよー、それくらい。あいつと話してるとき、あんなににこにこしてるんだもん。でしょ」
「え、その……」
「秋子。遠慮することないよ。あたしだって告白したんだ、こんどは秋子の番」
「あ、あの……」
「ほら」

 そんなこと、考えたことなかった。史裕くんのことは、大切な友達。友達、とも……。

 ちくん。

「あっ……」
「秋子。あたしたちは、何があっても友達だよ。大丈夫だよ」
「うん……」
「認めちゃった方がらくだよ。ね」
「……美弥子ちゃん」
「あたしはあいつが好き。ほら、りぴーと・あふたー・みー」
「み、美弥子ちゃん」
「ほーら」
「う……」
美弥子、あなたの気持ちはどうなるの?
「……美弥子ちゃん……」
「言わないつもりなの?」
「……え」
「あたしは、秋子のこと、一番の友達だから告白したんだよ。それに……」
「それに?」
「秋子のことは、恋の強敵(ライバル)。今日からそう思うことにしたの」
「……」
美弥子。そうなんだね。……強く、なったんだね。

 だったら、あたしも強くならなきゃ。
「美弥子ちゃん。あたしも……あたしも、彼のこと……好き」
「ほら」
「ごめんね……。友達だと、好みまで似通っちゃうのかな?」
「そうかも。だって、彼ってやさしいし、かっこいいし」
「あ、のろけてる」
「うふふ。秋子、いつまでも友達でいようね、でも」
「うん。きょうからは、ライバルでもあるんだね?」
「容赦はしないよ、秋子」
「うん。友達だからこそ、敗けられないよ、美弥子ちゃん」
「いい返事。健闘を祈るわ」
「うんっ」

 ライバルかあ。美弥子って、スタイルいいし、自分で言うけど美少女だし、明るくて元気だし。強敵だよ……。

第15章 -- Last Day

1

 『抜け駆けはなし』。それがあたしと美弥子のルール。

 だから、遊びに行くときは、いつも三人。でも、これじゃあ進展ないような気がするんだけど、気のせい?

「さて、と」
今日は山手にある遊園地。山の上にある観覧車から、晴れた日には遠くの山々まで見渡せるっていう話。それに、感謝デーとかで、とっても安く入れるって話で……っていきなりせこいわね。まったく。作者のお財布が知れるわね。
「何から行きますかな」
「うーん……あ、お化け屋敷ぃ」
「美弥子ちゃん……そういうの好きだから」
「ほら、こわいー、きゃ〜っ☆って言いながら女の子が抱きつくって、男の子の夢でしょう?」
「は、はあ……そうなんですか?」
「あのー。あたしに聞かれても」

「きゃー、きゃー、キャー☆」
「わ、わわっ。やーん」
「……ほう」
お化け屋敷。やっぱり、美弥子は大騒ぎだし。あたしは怖いし……でも史裕くんは落ち着き払ってるしー。なんなの。
「なんだよお、史裕、ちょっとは怖がれよお」
「とくにはねえ」
「……は?」
うーん、怖がらない人がいるとこうも盛り下がるのね。覚えておこう。

「精巧にはできていますが、しょせん作り物ですか」
「あのねー、史裕。そういう楽しみかたはないでしょ」
「楽しんでませんよ。あんなのなら、いくらでも見たことありますから」
「……はい?」
な、なにそれ!?
「あんなの、墓場とかいけばいくらでもいますけど」
「……ぎゃ」
……史裕くん、み、見える人だったのね!?
「おふたりは……どうやら楽しんでいたみたいですね」
「ひーっ……」
こ、怖いよお、こっちのほうがよっぽど怖いよお。

 変な興奮さめやらぬままなんだけど。
「そうですねえ……定番、ジェットコースター、行きますか」
「うん」
「行こ、行こ」
ここのジェットコースターは、別の意味で怖い、といううわさ。あんまり人が乗ってる気配がない……けど?

 ぷー。……がたん、がたがた、がたごっとと……。

「わー、高いね」
「もうすぐ最高点ですよ」
「おー……風がいいねえ」
かたん。
「ろーんち!」
「え?」
がしゃ……しゅー!
「っわああ」
がたがたがたがた!
「ゆ、ゆれるう!」
みしみしみしみし!
「ひ、ひえええ」
ぐげげげぐげげげ!
「わあ、わああ!」

「べ、別の意味で怖い、って、こういうことだったのね」
「吹っ飛ばされるかと思ったよ……」
「そのうえ、かなり揺れてませんでした?」
「うん」
「どーも……足下が虫食いみたいですよ。ほら」
史裕くんが指さした先……ぎゃー!
「錆びてますねえ」
「……ふぇえええ、こわいよー」
どんなメンテナンスしてんのよ、このぼろ遊園地は!

「ふひ。けっこう楽しいね」
「うん……うえっぷ」
これまた定番のアイスクリームをなめながら、あたしたちはベンチに座ってた。あれからいくつかアトラクションをまわってみたんだけど、ぐるぐる回転系が多くて、ちょっと気分が悪くなったり。
「あ、秋子、大丈夫」
「た、たぶん」
「ほんと、ぐるぐるばっかだったもんねえ……えぷ」
「美弥子ちゃんこそ、大丈夫?」
「うー。ちょっと三半規管がおかしいかも」
……なんのことはない、ふたりとも酔ってるんじゃない。でも史裕くんは余裕そう。
「うむー……史裕は余裕?」
「ええまあ。こういうのは、才能ですから」
「……才能?」
「酔いやすい人は酔いやすいし、酔わない人はさっぱり酔わないものです」
「うー……うえっぷ」
あ、美弥子。
「それと、『酔う酔う』と思っている人は酔いやすいですよ」
「そ、そんなもんなの?」
「ええ。車酔いっていうのは、気持ちの問題が半分以上ありますから」
「へー。知らなかった」
「酔ったときの感覚が頭に残ってると、酔いやすいんです。だから、プラセボもけっこう効くんですよ」
……プラセボ?
「えと……偽薬。鰯の頭、っていえばわかるかな」
「それは、『鰯の頭も信心から』でしょ。……あ、そういうことか」
「ええ」
「じゃ、たとえば、オロナミンCドリンクもっていって、『これは酔い止めの薬』ってやれば……」
「炭酸はだめでしょう、やっぱり」
「……あはは。そっか」
炭酸入ってるとダメなのか。これも覚えておこう……かな。

2

「ずいぶん遊んだね」
夕暮れが近づいてきてた。
「そうだね……もうそろそろ、閉館かな」
「あ、そうか。ここって妙に閉館が早いのよね」
「うん」
「……じゃあ、締めくくりの定番、観覧車ですか」
「うん!」

 観覧車には人が並んでなかった。ほんとにこの遊園地、大丈夫?
「わ、すぐのれますね」
「うん」
三人でひとつのボックス。ゆっくりと……ゆっくりと、昇っていく。

「そういえば……覚えてますかね」
「何を?」
「あの雨の日。『見覚えはあっても、名前は知らない』って、わたしは言いました」
「……」
……そうだ。そんな大切なこと言ってたよね。
「覚えてますかねえ……難しいかな。昔、まだ学校に上がる前。こんな小さな、やんちゃぼうずが、女の子によくいじめられてませんでした?」
「え……うーん」
そういえば……いたかもしれない。どこかから来た、すこし変な言葉遣いの、少年が。
「それがどうしたの?」
「あれ……わたしです」
「へ?」
「わたしにはすぐわかりましたよ。小さな頃と変わってない、楽しいふたり。いつもいつも、いっしょに遊んでた」
「……」
「で、わたしのこと、よくいじってましたよねえ」
「そ……そうだっけか?」
「名前も知らないんだけど、遊んでもらえるからいいかと思ってついていくと、たいていからかわれるんですものねえ。わたしもお人好しが過ぎますかね」
「……」
「でも、好きだったんですよ、子供ながらに。大切な友達だった。知らない人ばかりのところで、遊んでくれる友達って、貴重です」
「そうだったんだ……」
「全然覚えてないわけじゃないけど……でも、こんなに小さかった、あたしたちよりも小さかったのに。……変われば変わるものだね」
「そうかもしれません」
「わかりますか、わたしの言葉の意味が」
「うん、いまならよくわかるよ。あのときの男の子は、ほんとに、名前も言えない、内気な男の子だった。うん」
「ははっ……はい」
「ほんとうに……すてきな、出会いでした……」

3

 史裕くんの表情が、急に真剣なものに変わった。
「秋子さん、美弥子さん……」
「はい?」
「おふたりに、どうしてもお知らせしておかなければならないことがあります。実は……明日限りで、親元へ行くことになりました」
「……え?」
な、なに、いま、何て言ったの?
「ご存じのように、わたしの両親はいま海外赴任中です。昨日、連絡がようやくとれました」
「そうなんだ。よかったね……」
「で、急なのですが、呼び寄せられまして」
「あ、ご両親の容態はどうなの?」
「けがはなかったそうです。ただ、連絡手段がとぎれてしまって……」
「そ、そうだったんだ……」
「……ということでして。本当に名残惜しいのですが、どうしても明日には出立しなければなりません」
「……史裕っ……。どうしてもなの?」
美弥子……。
「はい」
「……せめて……せめて、高校卒業までいることはできないの!?」
「どうにも……なりません」
「どうして、どうしてだよ!」
「わたしに拒否権などありませんよ……」
「史裕……」
「わたしだって、ここを離れたくないんですよ。だって……わたしの友達が、たいせつな、大切な友達が……ここにいるんですから」
「史裕くん……」
「でも、一生会えなくなるわけじゃありません。また、機会があれば、ここに来ることもできると思います」
「うん……」
「そんなに肩を落とさないで。大丈夫、わたしたちは、友達ですよね」
「あ……うん」
史裕くんだってつらいんだろうけど、一生懸命なぐさめてくれる。
でも、あたしたちの気持ちは、暗く落ち込んだままだった。

「史裕くん……」
「はい」
「明日、行くんだっけ」
「はい」
「じゃ……じゃあ、飛行機の便、教えてよ」
「あ……そうですね。あしたの……」

 せめて、彼を笑顔で送ってあげよう。それがあたしたちのできる、精一杯。

第16章 -- さよなら

1

「美弥子ちゃーん。これに乗らないとまにあわないよー」
「はあ、はあ、ちょっとまってー」
こんな大事な日なのに、遅刻気味の美弥子。

 史裕くんは、今日、ご両親の元へ旅立つ。だからせめて、見送りくらいしてあげよう。
夏休みの最終日。
結局、二学期を迎えずに、史裕くんは去っていく。

「はあ、はあ……ま、まにあったあ」
「はひ……」
空港までは、電車で行ける。何回か乗り換えるけど。史裕くんは、手続きやらなにやらがあるからって、早くに出かけたらしい。

 美弥子もあたしも、あんまりしゃべらなかった。
「……」
「……」
ふたりとも、たぶん、史裕くんがいなくなること、その重さに一生懸命耐えていたんだと思う。

2

 空港。
「たしかウエストっていってたよね」
「うん」
……あ。そうだ。
「ね、美弥子ちゃん。ちょっと、お買い物してていい?」
「うん? い、いいけど」
「そのあいだに史裕くん探してよ。荷物も見ててあげる」
「見てもらうほどの荷物はないって。うん、わかった。探してくるよ」
「お願いね」

 あたしが目を止めたのは、おみやげやさん。バンダナあるかな……。
「はい、いらっしゃい」
「あの、バンダナありますか」
「うーん、このへんはないねえ。ハンカチならあるけど」
……ハンカチか。
「あ、じゃ、それでいいです。三枚ください」
「はいよ」

「秋子、こっちこっち」
「あ、秋子さん。こっちですよ」
史裕くんは意外と簡単に見つかった。出国窓口の前。
「こ、ここをくぐるともう帰ってこれないのね?」
「美弥子さん、ひとを処刑台に送るような言い方しないでください」
「あ、ご、ごめん。でも、ここから戻ってはこれないんでしょ?」
「そうですねえ……。入国はあちらですし」
「そうなんだ」
階段の下は、あたしたちの知らない場所。ゲートをくぐったら、そこはいろんな意味で、外国。
「史裕、出国まで、どれくらい時間あるの?」
「まだ余裕ですよ」
「そうなんだ……。ちょっとだけ、時間、いいかな」
「え、ええ……?」
「あっちの喫茶店で、話、できるかな」
「はい」
空港にはそういうのがあるんだ。美弥子、めざとい。

 切り出したのは美弥子だった。
「あのね……とっても大切な話するから、聞いてほしい」
「はい」
「真剣だよ」
「……はい」
「あのね……あたし、あたし……史裕が好きなんだ」
「はい」
「……あの、友達としてって意味じゃなくて。その。男の子として」
「はい」
「わかってる? 史裕」
「ええ……言わんとすることは。それは、告白、ですね」
「……うん」
「そんなこと言われて、わたしは、どうすればいいのですか。もうすぐいなくなってしまうのに」
「だから……だから、どうしてもこの気持ちを……伝えておきたかったんだよ」
「……そ、そうですね。すみません」
「ううん……」
……美弥子。抜け駆けはなし、ってルール、まだ生きてるかな。
「美弥子ちゃん。抜け駆けはなし、だよね」
「あたしが言ったのに、あんたが言わないなんて許さないよ」
……ありがとう。
「くす。うん……史裕くん」
「はい」
「あたしも。あたしも、史裕くんのこと、大好きだよ」
「……はい」
……史裕くんの顔が、すーっと赤くなっていく。
「あの……ふたりとも、ほんとうにわたしでいいんですか?」
いつもの謙遜。史裕くんの、大きな欠点だと思うけど。
「史裕。きみだから、だよ?」
「……そ、そんなこといわれても。わたしは……」
「じゃあ、あたしたちのこの想いはどうなるの? きみのことが好き、っていう想いは……」
「史裕くん。なんでもいいの、こたえて」
「……おふたりさん。考えることじゃないですね、感じて、そして応えればいい」
「うん……」
「……あの……。ふたりとも、好きになっちゃいけませんか」
「え……」
「あ、やっぱダメですよね。ぜいたくな話で」
……そんなことないよ。
「ううん……いいよ。べつに」
「……秋子?」
大丈夫。美弥子もわかってるはず。
「あたしは史裕くんが好き。史裕くんは、あたしが好き。ね?」
「は、はい」
「それで。美弥子ちゃんは史裕くんが好き、史裕くんも美弥子ちゃんが好き」
「え、えと……」
「……あたしは美弥子ちゃんが好き、美弥子ちゃんもきっと……あたしが好き」
「秋子……」
「それでいいよ、今は。ね」
「秋子さん……」
「秋子。……強いな、秋子は。うん、いいよ。それで」
「……美弥子ちゃん」
「あたしだって、みんな、みんな、大好きだから!」

「あ、そうだ」
「なに、秋子」
……がさがさ。さっき買ってきた、水色のハンカチ。
「あのね。これをひとつずつ、みんなでもとう」
「うん? ……あ、ハンカチだ」
「うん。ほんとはバンダナなんだけど。あたしたちの、永遠の友情の証」
「あ……それ、いいね」
「えへ。さっき思いついただけなんだけどね」
「友情の証、かあ」
「史裕くん、ずっとこれ、持っててくれる?」
「え、ええ」
「これがあれば、あたしたちふたりは、ずっときみのそばにいる。いつでもあたしたちのこと、思い出せる」
「……そうですね。すべての思い出が、ここにある、って」
「うん」
「史裕……。あたしも」
「ええ、三人で、大切にしましょう……ありがとう」

 ぴんぽんぱんぽーん。
「乗客のみなさま。出発便クリアランスのご案内です。……」
あ……史裕の乗る便だ。
「もう、時間なんですね……」
「うん……」
「じゃあ、わたしは行きます。絶対、この友情、忘れません」
「待って!」
……美弥子?
「もう少しだけ……待って。いっしょにゲートまで行こう」
「は、はい……」

 ゲート前。ここから先は、見送りの人はもう行けない。
「ここまでですね」
「うん……」
「じゃ」
「史裕」
「はい?」
「……史裕くん」
……ふぁさっ。

 美弥子も、あたしも、史裕くんをぎゅっと抱きしめてた。この温もりを、忘れないために……。史裕くんの手が、そっとあたしの髪にかかる。そして、頭を撫でてくれる。
……史裕くん、史裕くん……!

「ふたりとも……。泣かないでください。笑顔で送ってほしいですよ」
涙なんか、止められるわけがなかった。ぽろぽろ、泣いてた。
でも、せめて、笑顔で送らなきゃ。
「わたしは行かなくてはなりません。でも……きっと帰ってきますから」
「……うん」

 きっと、泣き笑いの変な顔だったと思う。でも、それが精一杯。
「史裕くん、元気でね!」
「史裕、Go Forward!」
「Aye, sir! また会おう!」

 それが、彼の最後の言葉になった。
まるで、いつもの駅の改札口を越えるかのように、ゲートを越えていく、史裕くん。
さよなら。

 さよなら……。

3

「秋子、あれかな」
「うん、あの銀色の飛行機って言ってたから」
「銀色なのだといっぱいあるよー」
「でも、どれだか……あ、そっか。ゲート番号、ゲート番号っと」
「ん?」
「ほら、番号がかいてあるから、突き合わせれば」
「へー。なるほどねえ」
「あ、やっぱりあれであってたんだ。さすが美弥子ちゃん」
「え、えへっ。まったく勘だったのに」
「うーん。恋する乙女パワー、ってやつ?」
「こら秋子。ひとのこと言えないでしょ」
「あは、あははは」
「ふふ」

「搭乗口が離れたね」

「滑走路へ出ていくよ」

「あ、加速しだした……」

 ふわっ。

「……」

 あたしも美弥子も、史裕くんが乗った飛行機が見えなくなるまで、そこから一歩も動けなかった。

「……」
「こんどこそ、本当に……ホントに行っちゃった、ね」
「うん……」
「でも、きっと帰ってくる。きっと」
「秋子……」
「大丈夫。だって、あたしたち三人は、友達、だもの……」
「……うん」

エピローグ

 二学期が始まった。史裕くんの机は、もう片付けられていた。はじめから、まるでいなかったかのように……。

「うん、どうしたの秋子?」
「ううん……ここに、ぽっかりすきまが空いてるな、って」
「うん。でも、すぐ席かえだからね」
「あ……」
史裕くんの抜け穴さえ、あることを許さない現実。

 二学期になると、そろそろ進路を決めなくちゃいけない。
「秋子は進路調査、なんて書いた?」
「進学って」
「……どっちの方面に行くつもり?」
「うーん……文学部かなー」
「ふーん。文学部ねえ」
「あ、歴史学って文学部なんだよ」
「そうだっけ?」
「そうなの。そういう美弥子ちゃんはどうなのよ」
「あたしは英文学って」
「……おたがい、さもありなんね」
「あはは、まったくだわ」
……史裕くんがいたら、なんて書いたかな。『理学部』か『工学部』って書くと思うけど。
「うん? 何考えてるの?」
「う、ううん……。なんでもない」
「そう。……秋子、このところあんた、ちょっとぼうっとしてることが多いよ。いつもだけど」
「み、美弥子ちゃん」
「でも、いつもにもましてぼうっとしてる。気をつけてね」
「あ……うん」

 知らないうちに、史裕くんのこと、考えてるのかもしれない。
でも、自分のことを、まずはしっかりしなきゃね。

 すこしずつ忙しくなってく毎日。模擬試験とか、補講とか。
「秋子、こんどの土曜日の午後、休み?」
「ううん、模擬試験」
「あちゃー。休みだったらアレ買ってきてもらおうかと思ってたんだけどなあ」
「あれ?」
「うん。ほら、『スナップショッツ』の新譜出るっしょ」
「ああ、そういえば。美弥子ちゃん、あれ好きだもんね」
「うん。そーなのよお、もうボーカルのケイくんなんてー」
「はいはい。それはいいから」
「あ、秋子ぉ」
「じゃあ、そういう美弥子ちゃんは暇じゃないの?」
「暇じゃないよー。補講だよ、ほ・こ・う」
「あはは」
「笑い事じゃないよー。まったく」
「大丈夫だよ。特訓受けたんでしょ」
「……あ、なんだっけそれ」
「忘れないの。ほら、先生のうちで」
「ああ、あ、あ……にゅうう」
……いやなもの思い出しちゃった?
「はうー」

 気がついたら、西の空に筋雲が見えるようになってきた。もう、秋。
「模擬試験の結果を返すぞー。石上」
「はい」
「一次が5科あるが……なんとかなりそうだな」
「はい」
「伊藤」

「どう、秋子。模試の結果」
「うん、なんとかなりそうだって」
「そっかー……よかった。あたしは」
「もうちょいがんばりなさい?」
「こら秋子。決めつけないでよ。……ふふ、じゃーん」
「あ、大丈夫じゃない」
「ふふん。あの苦手な数学がなんとかなってさ」
「ほら。やっぱり特訓の成果だよ」
「う、うん……」

 美弥子は英語を生かして通訳になりたいって言ってた。
あたしは歴史を学んで、学校の先生になりたい。
史裕くん、きみは、何になりたい?

 遠い夜空へ向かって。

 史裕くん、Go Forward!

あとがき

 あとがきねこぽんです。

 さて、作品のほうはおたのしみいただけたでしょうか。とある方から「爽やかで長いテキスト」との評をいただいたのですが、みなさまはどんな感想をおもちになられたか、できれば聞かせて頂ければと思います。

 作者としては正直なところ、長すぎたかなあ、と思っています。普段の作者は、できうる限り短くすっきりしたテキストを、というのが目標なのですが(ちなみに職業はプログラマ)、いつも説明不足で追加させられてます(とほほ)。このテキストはいかがでしたでしょうか。必要にして十分な説明はされていたでしょうか。十分以上の説明はされていないでしょうか。

 一応、作者自身は面白いと思ってこれを書いたわけですが、やはり読者の方の審判は厳しいと覚悟してはいます。

 それでは、またお会いできる日があれば。