浩之のエクストリーム

さく: ねこぽん@マルチモード

第1章 -- 神社裏で

 キキッ。

 ……自転車のブレーキ音を響かせながら、オレはいつもの神社裏へやってきた。この場所が、オレと葵ちゃんの、二人だけの練習場だ。枯れ葉がすこしずつ舞い降りる境内は、学校のすぐ近くとは思えないほど、静まり返っている。

 葵ちゃんはまだ来ていない。オレは、神社の軒下にいれてあるサンドバッグを引き出すと、練習の準備にとりかかった。

「せんぱ〜い」
「おう、葵ちゃん」

 葵ちゃん。エクストリーム同好会の会長である。同好会っつっても、オレと葵ちゃんの二人しかいないが。
軽く走ってきたらしく、少し上気した顔で、オレのほうへ近づいてくる。

「先輩、今日も早いですね」
「おう、大会が近いと、気合いも入ってくるしな」
大会……エクストリーム大会。秋の大会に向けて、オレたち二人は、毎日練習にあけくれていた。
「そうですよね。おたがい頑張りましょうね」
そういう葵ちゃんの目は、きらきらと輝いていた。

「そうだな。葵ちゃんの目標は優勝だよな。オレは予選突破」
「そんな……。先輩だってやればできるんですから」
葵ちゃんだって、オレの実力はよくわかってるはずだ。あえてそれを言わないのは、オレに対する気づかいなんだろう。
「……さ、練習練習」
「はいっ! よろしくお願いします!」

 葵ちゃんは、さっそく、サンドバッグに向かって、コンビネーションの練習を始めた。

 ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!

 左フック、右ストレート、右ローキック、左ハイキック。こんなたいへんなコンビネーションを、葵ちゃんはやすやすとやってのける。しかもそれが、一連の動きとして、まるで流れる水のようだ。オレはというと、左ジャブと右フックのワンツーを、これでもかというくらい繰り返していた。

「体が勝手に反応するくらいやるんです。そうすると、試合でも体が動くんですよ」
葵ちゃんはこう言って、体に覚え込ませる重要性を強調していた。

 正直言えば、この大会、オレはとても不安だ。予選突破が目標なんて言っていたが、まったくの素人であるこのオレには、もしかしたらとんでもない目標かもしれない。そんな不安を払拭しようと、オレは、見えない敵にむかって、ワンツーを繰り返していた。

「……い?」
「……」
「……ぱい?」
「……」
「……(すー……)先輩っ!」
「わーっ! びっくりした」
「どうしたんですか、先輩。……何か気になることでもあるんですか?」
「い、いや、何でもないよ」
オレはとぼけてみせた。
「先輩、キックミットもってくれますか?」
「ああ、いいぜ」

 オレはキックミットをもって立ち上がった。葵ちゃんの攻撃を受けるためである。葵ちゃんの練習になるのは当然だが、オレの練習でもある。オレにとっては、攻撃を読む練習になるのだ。

 ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、どすぅ!
「がっ」
「あっ!」
「続けてっ!」
「は、はいっ!」

 ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ミットの上からでもみしみし来る、葵ちゃんのキック。それをミットなしで受けるのは、もちろんかなり痛い。だが、練習の成果で、そう簡単には当たらなくなったし、受けるダメージも小さくなってきた。
オレは、葵ちゃんの攻撃を見きるべく、神経を集中させた。

 ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!

「はいっ!」
ぼすっ。
「う、続けてっ!」
右ストレートを鳩尾に直撃。ミットの上からといえ、これは効いた。だが、そんなことは言ってられない。オレは葵ちゃんに、攻撃の続行を指示した。

「はいっ!」
葵ちゃんは次々に攻撃を繰り出してくる。

 ずばん、ずばん、ずばぁーん!ずばん、ずばん、ずばん、ずばぁーん!

 ………。
……。
…。

 練習が終わる頃には、オレは頭に4発、わき腹に1発、直撃弾を食らっていた。

「先輩、だいじょうぶですか?」
いつものことなのに、心配してくれる葵ちゃん。
「ああ、全然平気だぜ。ほらこのとおり」
その場で飛びはねて見せるオレ。練習の成果か、この程度では本当にどうということもなくなっていた。こんなことまで、毎日の光景になってしまった。
「よかった……。またお願いしますね」
「ああ、もちろんだ。オレの勉強にもなるしな」
「そうですよね。最初の時は、何発当たったんでしたっけ」
「……言うなよ。だが、それよりは遥かに少なくなってるぜ」

「……そろそろ、おしまいにしましょうか」
「ああ。サンドバッグはしまっておくぜ」
「先輩、ありがとうございます。いつもいつもすみません」
「いいってことよ。こんな重い物、葵ちゃんにもたせるわけにもいかねーだろ」

「……すみません」
「じゃ、また明日な」
「はいっ! それじゃ、失礼します!」
葵ちゃんはそういって、帰っていった。

 オレは、サンドバッグを神社の軒下にしまうと、自転車に乗った。こりゃ、しみるぞ……。

第2章 -- 大会会場

 ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。かちゃっ。

 その日、オレは目覚ましより早起きしていた。エクストリーム大会。待ちに待った、大会の日だ。世界の強豪が、オレたちを待っている。そう思うと、俄然やる気が出てくる。

 葵ちゃんとは、大会会場で待ち合わせだ。オレは、駅から電車に飛び乗ると、大会会場……市立体育館へと向かった。ん、ずいぶんとスケールが小さいじゃないかって? ……ひとこといい忘れてた。オレの出る大会は、予選だ。テレビで放映されるような試合は、もちろんもっと大きな会場で行われるが、それに出るためには、予選を勝ち上がらなくてはならない。特に、まるっきりの素人であるオレは、だ。葵ちゃんは、すでに実績があるので、予選免除だ。

 世界の強豪、待ってろよ。高鳴る胸の鼓動をおさえ、オレは市立体育館へむかった。

「せんぱ〜い!」
「おう、葵ちゃん」
葵ちゃんは、制服で会場まで来ていた。

「頑張ってくださいね。練習の成果を、見せるときですよ」
「……こんどはオレが言われる番かい?」
元ネタは、坂下戦のときの「葵ちゃんは強いっ!」だ。

「……え?」
しまった、はずした。
というより、覚えていないのかも。
「…………いや、なんでもない。さ、いこうぜ」
「はいっ!」
自分が出るわけでもないのに、なぜか元気な葵ちゃん。その元気を見てると、オレの不安も消し飛ぶようだった。

 ……1回戦。
いきなり、大柄な選手が出てきた。うひ〜、こりゃ強そうだぜ。

「先輩っ」
葵ちゃんがセコンドでささやいた。
「ん、葵ちゃん、なに?」
「落ち着いて、相手を良く見極めることです」
「そうだな」
「……見極める作戦は、先輩の得意技ですよね?」
「……おう。まかせとけ」

 そうだよな。あの葵ちゃんの攻撃を見きったオレだ。まずは攻撃を受けないこと。それで相手のスタミナが減ってきたら、カウンタをねらうこと。葵ちゃんの激励を受けて、オレは立ち上がった。

 『青コーナー、藤田浩之!』

「がんばれ、先輩!」
「おう!」

 『レディ……ファイッ!』カァァァン!

 ゴングとともに、ヤツは右ストレートを打ってきた。オレはそれを、ギリギリのところでかわす。これも作戦だ。相手に「当たりそうだ」と思わせておいて、できるだけ攻撃させる。こっちからは軽く仕掛けるだけにしておく。右、左、左! 連続して繰り出される攻撃をかいくぐり、オレはヤツの懐に飛込んだ。

「食らえ!」
葵ちゃんに教わった通りの、教科書通りの左ジャブ、そして右フック。わき腹と、顔面へクリーンヒット。
「……ぐっ!」
深入りは禁物だ。すっと離れるオレ。ヤツの表情に、すこしずつ焦りが見える。そうだよな、こっちは素人だ。素人相手に負けたんじゃ、格闘家の名が泣くぜ。

 オレは、相手を焦らすように、ゆっくりと動いて相手の攻撃をかわし続けた。そして、ときどき見える隙には、確実にパンチをくれてやった。

 チャンスが来たのは、試合開始から3分が経過してからだ。焦ったヤツは、最初と同じような、大ぶりの右ストレートを繰り出してきた。下半身ががらあきだぜ、こいつ。オレは、低い姿勢をとると、右ストレートを放った。足をしっかり踏みしめ、腰を回転させるように、そして背筋をねじるように、手はしっかり握って、下半身から沸き上がる力が腕まで抜けるように、一直線に----。

 ずどん!

 『……試合終了!』ヤツは、オレのストレートをまともにアゴに受けてしまい、その場にくずおれてしまった。しばらく、立てないだろう。
『……勝者、藤田浩之!』あれ? 試合終了?見れば、今戦った相手はタンカにのせられて去っていくところだった。放棄試合、らしい。

「か、勝ったぜ!」
「先輩!」
葵ちゃんが嬉しそうにオレを見ている。
「やったじゃないですか! 先輩!」
「勝ったぜ葵ちゃん。これも葵ちゃんのおかげだぜ」
「……そんな、先輩の実力ですよ」
そういう葵ちゃんの顔は、満面の笑みがこぼれそうだった。
そのとなりに、もう一人、女の子がいた。

「……やるじゃない、藤田くん」
「……綾香?」
来栖川綾香。葵ちゃんをエクストリームに引きずり込む要因となった張本人であり、女子エクストリーム界の女王でもある。
そんなお嬢様が、予選大会ごときを見に来てるなんて。

「そうよ。見に来ちゃいけない?」
「……い、いや、そんなことねーけどよ。たかだか地方の予選大会だぜ? なんでまたわざわざ……」
「ふふっ、葵が認めた男がどんな実力の持ち主か、見極めに来ただけよ」
「……ぐっ」
いやみな女だ。

「……まぐれじゃないわよ。あなたのクリーンヒット」
綾香は、まじめな顔にもどって、そう言ってのけた。
「……へ?」
「ほめてるのよ。天性のものかしらね。たいしたものね」
「……」
「もしかすると、エクストリームの大型新人、かもね」
「……」
「葵、しっかり応援してやりなさい。あなたの見極めた男、たいしたものよ」
「綾香さん」
「じゃね」

 じゃねっておい。
と引き留めるまもなく、綾香はさっさと去っていった。
「…………」

「先輩」
「ん?」
「綾香さんもああおっしゃっていることですし、頑張りましょう!」
「お、おう……」

 どう言えばいいんだ、こんなとき。葵ちゃんの応援には、こたえてやりたいけどさ……。

第3章 -- 準々決勝

 その後もオレは順調に勝ち上がってしまい、準々決勝まで来てしまった。あと3つ勝つと、予選勝ち抜け。
……いまここにいるのは、本当にオレか?と、オレ自身が疑いたくなるほど、順調に勝ち上がっていた。
「やっぱり、先輩の実力なんですよ!」
と、葵ちゃんは嬉しそうに言ってくれるが、オレはそこまで信用できる気になっていなかった。まだ、まぐれがどこかで働いてる気がした。

 ……そして、試合は始まった。試合は長引いた。なにせ、相手はオレと同じ、カウンタ狙いの作戦をとってきたからだ。じっとにらみ合いつつ、小さな牽制とフェイントを繰り返す二人。

 ………

 ゲームプランニングはなかなか困難だった。焦ることはなかったが、お互い判定での1本ずつをとって、3本目に入った。

 3本目、オレの放ったしつこいローキック攻撃が効いたのか、相手はだんだん足が動かなくなってきた。チャンスだ。オレは、一か八か、ラッシュをかけた。基本だけは守りつつ、空いているところにキックを浴びせる。

 そして……ヤツは足下から、どう、と崩れ落ち、立てなくなった。つまり、オレが逃げ切ったわけだ。

 『試合終了! 勝者、藤田浩之!』ふう……。
「先輩!」
何度勝っても、葵ちゃんが同じ笑顔で迎えてくれる。この笑顔があるおかげで、オレは、すぐ次の試合ができる。

 だが、このとき、オレは異変を感じ取っていた。葵ちゃんには、まだ隠していたが……。

第4章 -- 綾香

「……なによ、これ……」
綾香が、一枚の文書を手に、苦々しい顔をする。
「好恵が、そんなマネを……」
その文書には、こう書いてあった。

「拝啓、来栖川綾香様。今回のエクストリーム大会に、空手部の優秀なメンバーをひとり、送り込んであります。送り込んだメンバーとは、中野勇司です。綾香様もご存じの通り、中野勇司は、空手部では一二をあらそう実力者。その実力者をエクストリーム大会にまで送り込んだのには、わけがあります。綾香様はご存じですか? 藤田浩之が大会にエントリーしたこと。中野のことですから、まずあの男と戦うことになるでしょう。もし、中野が勝ったら、藤田にエクストリームをやめさせる。それが私の狙いです。
勝手なことをするようですが、葵を空手に取り戻すためです。お許し下さい。
坂下好恵」

「お許し下さいじゃないわよ!」
珍しく声を荒げる綾香。
「……あ、いけない。人に知られるとよくないわね」
「……どうなさいますか、お嬢様」
「セバスチャン! どうしてあなたがこんなところにまでいるのよ」
「その手紙は、わたくしめがお持ちしましたので」
「うぐ…………」

「……さて、どうしよう」
綾香は悩む。しかしセバスチャンはあっさりといい放った。
「藤田様にはおしらせするべきでしょうな」
「……そう?」
「受けるも受けないも彼の自由。そうではありませぬかな、綾香様」
「……それは……そうだけど」
「それに、その程度で気を落とす藤田様でもありますまい」
「……えっ?」
「がっはっは、わたくしめにはなんでもお見通しでありますぞ」
「……なに、その、根拠のない自信」
あきれる綾香。
「で、いかがなされますかな、綾香様」

「……そうね。彼には教えておくことにするわ。葵には内緒よ、いい」
葵に教えたら、好恵を恨んでしまう、きっと。葵、そういうところは実直だから。それじゃ、好恵にも逆効果だし、葵にも……。
「もちろんですとも」
セバスチャンが答えるまもなく、綾香は席を離れた。

第5章 -- 決勝前

「…………」
オレは、綾香の言葉をにわかには信じがたかった。たしかに、坂下好恵は、葵を空手に引き戻したかったことは良くわかっている。だが、そんな卑怯な手を使うようなタマか?

「……あたしも信じられないのよ」
「だが、ここに手紙があると」
「そういうこと。はぁ、困ったものね」
「……葵ちゃんには内緒だな」
「やっぱり、そう思う? 葵がこれを聞いたら……」

 オレも綾香も、次の言葉が出なかった。綾香同様、葵ちゃんにだけは、このことは教えたくなかった。坂下だって、葵ちゃんにはだいじな先輩なんだ。そのイメージを崩しちゃったら、葵ちゃんは……。

「……ははは」
力なく笑うオレ。ヤツ……中野勇司は、決勝の相手だ。決勝。勝てば、本大会に出られる。だが、その相手が、空手家だと? しかも、綾香のところの優秀なヤツだと? しゃれにならねー。オレは、空笑いをするだけだった。

「……たのむわね」
深刻な顔をしたままの綾香が、オレの肩をつかむなり、急につぶやいた。
「何をだよ」

「……勝って」
「おいおい、そう簡単に言うなよ。相手はおまえんところの優秀な----」
「言わないで。葵のために、勝って。お願い」
「……」
「……ね」
綾香は、いままで一度も見せたことがなかった、真剣な眼差しでオレを見た。

「動きじゃ負けてないわよ。慎重かつ大胆にいけば、勝てない相手じゃないわ」

「おい……」
「いい、自信を持って。それが最大の武器よ」
「……」

 情け容赦なくプレッシャを浴びせる綾香。
オレは、
「わかった」
とだけ答えて、その場を離れようとした。

「そうだ。ちょっと待って」
「……あん、何だ?」
「秘策があるのよ、秘策が」
綾香は、そういうと、にんまりと笑った。
「秘策?」
「そ。ちょっと耳かして……」

第6章 -- 決勝

「葵、悪かったわね。決勝前の大事な時間に、彼氏を借りちゃって」
彼氏、という単語に反応して、ポッと赤くなる葵。
「いいえ……何だったんですか?」
「秘策を授けたのよ。ね」
にまっ、と笑う綾香。
「ああ。いいこと教えてもらったぜ。さすがは女王だぜ」
「こらこら、持ち上げても何にもでないわよ」
ちょっと照れ笑いする綾香。

「秘策って何ですか?」
「……それは、試合で彼氏が見せてくれるわ」
『彼氏』というところを妙に強調して、オレに目配せする。
「おう、もちろんだぜ」
オレも応じる。
「楽しみにしておきなさい、葵」
「はいっ!」

 秘策。簡単なことだ。タイミングさえ合えば……

 『出場者はそろそろ』
「おう、今いく」
「頑張ってくださいね」
そういって、葵ちゃんは満面の笑みを浮かべてくれる。これがオレの、最大のスタミナ源だ。
「もちろんだ。見ててくれよ」
そういって、オレはリングに向かった。

 ……決勝。相手は、中野勇司。試合巧者。本物の空手の使い手。それに引き替え、俺はほんの少し前からエクストリームを始めたばかりの素人だ。オレがここにいること自体不思議なのに、こんないかにもな相手と組まなくてはならないとはな。運命は皮肉なもんだ。

 『……レディ、ファイッ!』試合が始まった。低い蹴りが、オレを襲う。
「……ぐっ」
まともには食らっていないが、それでもかなり重い。葵ちゃんよりも体重がある分、威力も大きい。

 もちろん、オレも負けちゃいない。実戦で培ってきた勘……つまり、今日一日で身につけたものだ、そいつをフル稼働させて、相手の攻撃をすり抜けていく。だが、やはり相手は試合巧者。そう簡単にオレのパンチを受けたりはしない。

「右よ、右!」
綾香の声が聞こえる。オレはその声よりも早く、右に回り込み、左フックを繰り出す。これはフェイントだ。本命はその次の右。

 だが、相手は左フックをガードの上から受け、オレの右を封じた。仕方がない、ハイキックだ。
「がっ!」
これは当たった。コンビネーション変更、成功。

 ……試合は、一進一退で推移していた。相手は名だたる空手家だが、ルールが災いしてか、攻撃の糸口がつかみにくいらしい。オレもなんとか反撃していた。

 そして、試合は動いた。
「ぐぁ!」
オレは、鳩尾に直撃を食らっていた。日頃鍛えた体で、ダウンはしなかったが、一瞬手が止まった。
その隙を、ヤツは見逃さなかった。ラッシュだ。雨霰と降るパンチ、キック。それをひとつひとつよけることなどできず、ガードするのが精一杯だった。重いキックが、オレのスタミナを奪ってゆく。
もはやヤツのパンチは見えていなかった。葵ちゃん、オレ、負けるのか……。

「せいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ひときわ大きな声が響くと、渾身の力を込めたストレートが放たれた。
「せんぱぁーーーーーーーーーーーーーーーい!」
葵の叫びもむなしく、一人の男が、仰向けに、どう、と倒れた。

第7章 -- 試合終了

 『試合終了!』

「……え?」
綾香が、葵がその目を疑った。いや、そこにいただれもがその目を疑っただろう。

「……先輩っ!」
その場に立っていたのは、オレだった。中野は、倒れたまま、ピクリとも動かなかった。

 一瞬の静寂の後、マイクを通じたレフェリの声が、会場に響いた。

 『1本! ……勝者、藤田浩之!』

 だが、オレも、その名乗りを受けて、体を起こすことができなかった。その場に倒れ込んでしまったのだ。限界を突破しちまった……。
「せんぱい、せんぱい……」
泣きそうな声で駆け寄ってくる葵ちゃん。だが、オレはどうにも起き上がることができなかった。膝に激痛が走っていた。くそ……

「だいじょうぶですか、先輩」
「……だいじょうぶ、じゃねえな。ごめんな、葵ちゃん」
「……先輩、つかまってください」
葵ちゃんに引きずられて、オレはようやくリングの外に出ることができた。もう足は動かない。

「……やるじゃない」
綾香が声をかける。
「へへっ。見たか」
「あのタイミングで崩拳が打てるなんてね。やっぱりたいしたものね」
「みようみまねさ。坂下戦で葵ちゃんがやったののまねだぜ」
そもそもその物まねができるってのが秘策なのよ……綾香は心の中でそう付け加えた。そんな芸当ができる人間は、そうはいないわよ。

 葵ちゃんが心配そうにのぞき込む。
「……先輩」
「見てた? 葵ちゃん」
オレは、葵ちゃんの心配を振り払うように、明るく振る舞った。
「……はい。先輩にあんな技があったなんて、知りませんでした」
「……あれが秘策だよな、綾香」
オレは綾香に目配せする。
「……え、ええ、うん、そうよ。うまくいったわね」
「ああ、感謝してるぜ」
オレは足の痛みをこらえて、笑って見せた。

「……先輩」
「葵ちゃん」
「……足、どうしたんですか」
「心配しなくていいよ。じき直る」
「……先輩。黙ってないで教えてください。どうしたんですか」
泣きそうな顔で、オレを見つめる葵ちゃん。

 と、そのとき、一人の少女が息急き切って会場へ入ってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ、綾香さん! 綾香さん! 中野がここにいませんでしたか?」

 その声には聞き覚えがある。

「好恵!」
声の主は、坂下好恵だった。そう、中野とかいう男を送り込んでまで、葵を空手に取り戻そうとした女。
「綾香さん! 中野は……」
「そこにぶったおれてるわよ。それより好恵には聞きたいことがあるんだけど」

「……やっぱり」
返ってきたのは、意外な返事だった。
「やっぱり?」
聞き返す綾香。
「中野のヤツ、勝手に人の名前借りてこんな文書書いて……」
好恵が、そういって見せた文書は、綾香が持っていた文書と、一言一句同じだった。

「え、これ……好恵が書いたんじゃないの?」
「あたしはそんな卑怯なことしません!」
好恵は言い切った。オレは、それを聞いてなんだかほっとしていた。坂下のヤツ、やっぱりいいヤツだな。葵ちゃんにも安心して説明できるぜ。

「……先輩、どういうことなんですか?」
状況が飲み込めない様子の葵ちゃんに、オレはいままで黙っていた一部始終を話してやった。
「……ごめん、葵ちゃん。オレにも、やっぱりいえなくってさ」

「……すみません」
葵ちゃんは、顔を伏せたままつぶやいた。
「葵ちゃんが謝ることはないよ。みんな、葵ちゃんが傷ついてほしくないから、だまってただだけなんだ。あとで言うつもりだったんだ」
「……すみません、先輩、綾香さん……」
「葵ちゃんは悪くないって」
「……中野さんがそんなことしてたなんて」
「……葵ちゃん」

「この件はあたしにまかせて」
綾香が言った。
「好恵。いい?」
「……」
「空手家の風上にもおけないわよ、あんなヤツ」

 そういいながら、綾香は好恵をつれて、逆サイドへいってしまった。どうなるんだろう、中野……。敵ながら不安だ。

第8章 -- 医務室

 まだ、オレの足は動かなかった。痛みは徐々に引いていたが、まだ動かすには危険だと思われた。

「立てるか?」
リングの上からそう聞かれたオレは、
「無理です。タンカ下さい」
そう答えるしかなかった。
係の人がタンカをとりに行ってくれた。

「……先輩」
葵ちゃんが、また泣きそうな顔になっている。
「なんだよ。勝ったんじゃん。もっと嬉しそうな顔してくれよ」
「……先輩」
「どうした?」

「……先輩こそどうしたんですか! 立てなくなるまでやっちゃダメだって言ったの先輩じゃないですか。そんな無理を押してまで……」
葵ちゃんの目から、いまにも涙がこぼれ落ちそうだった。
「……あとで話すから」
「いま教えてください!」
「タンカ来たし」

 タンカにのせられ、オレは医務室へ移動した。葵ちゃんはずっとつきそってくれたが、何も言わなかった。
「……筋でも痛めたのか」
「ちょっと、古傷が……」
「うーん……湿布くらいしとくな」
「すいません」
わけのわからん医者との問答のあと、オレはベッドの上に移動させられた。痛みはほぼ引いていた。だが、足はまだ動かせない。

「……先輩」
「葵ちゃん」
「やっぱり教えてください。なにかあったんですか」
「いや、何も」

「隠し事なんてしないでください! 先輩にもしものことがあったら、私、わたし……」
泣きそうな顔で訴える葵ちゃん。
「……わかった。教えるよ」
オレがサッカーをやめた原因。
オレがマラソン大会をサボる原因。
それが、これだ。

 オレの膝には、爆弾がいる。膝の皿がばらばらなのだ。先天的なものらしく、一生直らないらしい。普段歩くとか走るとかぐらいなら別にどうということはないが、激しい運動、長時間走るとかすると、ばらばらになった骨がずれていって、変なところへ入り込んでしまう。そうすると、激痛が走ってしばらく立ち上がれなくなるのだ。

 骨が元へ戻って、炎症が引けば、まったくいつもと同じように生活できる。事実、オレもこのことをずーっと忘れていたくらいだ。足が動かなくなるまで、思い出せないもんなんだよな。

「……先輩」
「おう」
「そんな病気だったのに、エクストリームなんてやってよかったんですか?」

「もちろんだぜ」
「いつ爆発するかともわからないのに……」
「葵ちゃん」
「そんな足で……」

「ふーん」
いつのまにか、綾香が立っていた。
「あれ、いつのまに」
「聞いたわよ。なんて病気持ちかしらね。惜しい人材をなくしました、かしら」

「勝手に殺すなよ」
「ふふっ、ごめんごめん」

「……ふーん、なっとく」
綾香が一人合点していた。
「なんだよ、気味悪いな」
「……え、ええ、あなたの戦いを見てて、おかしいなー、とは思ってたのよ。パンチばかりだったから」
「ははは、さすが」

「それに、準々決勝から様子がおかしかった……」
「……え」
どきり。心臓が、一つ高く鼓動した気がした。
「足がちゃんと動いてなかったわね」
「……いや、そんなことは……」
「あったの!」
オレ、こんなことまで見透かされてたのか……
「……」
「葵、気が付かなかったの?」
「……すみません」
「まあ、巧妙に隠してたからね。しょうがないか。準々決勝で苦戦してたでしょ。パンチがうまく出なくて、キックを使ってた。あのときに来たのね」

「……ばれてーら」
開き直るしかねーや、こりゃ。
「ばれてーらじゃないわよ。そんな足でよくキックなんか出せたわね。ほんとに」

「そのうえ、崩拳で体重を思いっきりかけてさ」
「……う、あたしのせいってわけ?」
「違う違う。あれはとっさに出ただけだし」
「……ま、とにかく、養生しなさい」
「へいへい」

「本大会には、中野に出てもらうことにしたから。ね」
当然だろう。オレは出られる状態じゃないことがわかってしまったわけだし。

「ふふっ。ボッコボコにしちゃうんだから」
「……え? 何か言った?」
「何でもないわよ。……ふふっ」
そういえば、エクストリームって男女混合だっけ。綾香……恐ろしいヤツだ。

「じゃね」
「じゃねって……」
「あたしの言いたかったことはこれだけ。あとは葵をなんとかしなさい」
「……はぁ? なんとかって?」
オレの疑問も聞かず、綾香は去ってしまった。

「……先輩」
「葵ちゃん」
「……残念です」

 そういうと、葵ちゃんは、引き留めるまもなく、ふいと出ていってしまった。最後の声は、ふるえていた。
「葵ちゃん……」
オレの膝はまだ動かなかった。葵ちゃんを追い掛けることもできなかった。……残念って、どういう意味なんだ? 葵ちゃん、まさか……

 ……

 一時間もすると、オレの膝はふたたび動き出した。会場からは、人影がなくなっていた。オレは、会場をひたすら探したが、葵ちゃんを見つけることはできなかった。

第9章 -- ふたたび、神社裏で

 翌々日、放課後。オレは、いつものとおり、神社裏へ向かった。今日は葵ちゃんが練習しているはずだ。

 ……静かだった。おかしい。葵ちゃんがいれば、サンドバッグの音がするはずなのに。そう思って見渡してみると……

 葵ちゃんはいた。神社の軒下で、ぽつんと座っていた。あのときと同じように。

 オレは、葵ちゃんに見つからないように、そっと近寄ってみた。
「……せんぱい」
……泣きそうな声で、つぶやいていた。
「……もう、来ないんだよね。私と練習してくれないんだよね。もう……」

 そ、そんなことはないぞ、葵ちゃん。
「……せんぱい……」
葵ちゃんの目から、涙がぽろっとこぼれた。

「葵ちゃん」
オレは、小さな声で呼んでみた。
「……せんぱいの声? ……ううん、そんなはずは」
「葵ちゃん」
もう一回呼んでみた。
「……せんぱい。せんぱい!」
ようやく気が付いたようだ。

「葵ちゃん、さ、練習始めようぜ」
「……先輩は?」
「……え、オレ?」
「……」

「まだ、習っていないことがたくさんあるぜ。教えてくれな」
オレは、明るく言ってみた。
「……」
「練習もしなきゃ」
「……」
「……」

 葵ちゃんは、首をふるふる、とふった。
「……そんな足で、ですか? あれほど無理しちゃダメだって言った先輩が、無理なことをするんですか?」
「葵ちゃん」
「先輩、ダメ……」

 オレは葵ちゃんの目をじっと見た。
「葵ちゃん」
「……」
「……たしかにオレは大会には出られないかもしれない。だけどさ、葵ちゃんが忘れていることが、一つあるぜ」
「……何ですか」

「オレは松原葵専属トレーナーだ。そうだろ?」
「えっ……」
「だから、オレは葵ちゃんといっしょに練習する。だろ? 人間相手ならいろんな技を練習できるっていってただろ。オレでよければいつでも相手だ」
「……先輩」

「それに、いろんな技を知らなきゃ、その受け方だってわからない。体に覚えるまで練習するんだ」
「……」
「もちろんマッサージも勉強するぜ」
「……先輩」
「わかったか。わかったら練習開始」
「……せんぱぁぁい」

 葵ちゃんは、オレの胸にとびこんできた。葵ちゃんの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……葵ちゃん」
「先輩。せんぱい。ごめんなさい。わたし、わたし……」

「葵ちゃん……」
オレは、葵ちゃんを抱きしめた。
「……オレ、葵ちゃんといっしょならいつまでも続ける、って約束したろ? 約束はまもらなくちゃな」
「……先輩」

 オレは、葵ちゃんをはなすと、葵ちゃんの目をしっかりと見た。
「……練習しようぜ」
葵ちゃんは、目尻をこすると、はっきりとこう答えた。
「はいっ!」
ちょっと目が赤かったけど、いつもの葵ちゃんがそこには戻ってきていた。
「よろしくお願いします!」
「おう!」

あとがき

 ご批評、ご感想などお承り致します。ねこぽんまで。

 葵ENDから another story を作ってみました。本作品は、私としてはかなり珍しい、日本語によるスクリプトです。普段は Cとか perl とかで飯食ってますので(←意味違う) 葵さんSSと題してますが、藤田君が主役ですな、これ。藤田君が書きやすいのはいうまでもないのですが、松原さんは比較的書きやすいようです。考え込むことは一度もなく、すらすら、と書けてしまいました。正しいかどうかはもちろん読者のみなさまの審判を待つ次第ですが。来栖川綾香さんには解説をしていただきました。そこにいても無理がないキャラクタなので、ありがたく使わせていただきました。セバスチャンさん、坂下さんも同様。例の手紙ですが、書いている途中で坂下さんではなく中野君のでっち上げに変更しちゃいました。松原さんがショック受けそうな気がして。中野君の名前ですが、特に意味はありません。単にねこぽんが Wnn 使いなもので、「私の名前」といえば「中野」と出てきちゃっただけのことです(をい。

 文章力もなく、構成力もなく、ただぶっ倒れるシーンが頭に浮かんできたので、そこへつなげるように適当に書き始めました。よくまとまったなぁ、我ながら。感心するよ。もちろん、普段のねこぽんはこんな技持ち合わせていません。つか、自分の書いたソフトのマニュアル書くだけでも四苦八苦してます。

「ところでさ、ねこぽん」
「なんですか、藤田君」
「膝に故障があるって件だけどさ」
「ああ、あれ?」
「そんな設定あったか?」
「ないです。あれ、ねこぽんの実話なんです」
「げ」
「膝の皿がばらばらでしてね、激しい運動をすると変な位置へ動くんです。腱と腱のあいだとかに」
「……うわ、いたそー」
「痛いんですよ。痛いのはともかく、動けませんからね。歩けないんですよ」
「それはそれでつらいな」
「ただ、30分もじっとしてれば正常にもどるらしいんで、それが助かりますけどね。腱を痛めちゃうとあとがつらいんで」
「1時間てのは?」
「ちょっとおおげさに。だってあんな派手な力かけたら」
「……あのあとのフォローがなかなかたいへんだったんだぞ」
「松原さんがマジにとってたそうで? 聞きましたよ」
「さんづけ……」
「いいじゃないですか」
「ほんと、責任とれよ」
「どうとりゃいいんですか」
「どうって……正義の鉄拳でも食らってこい」
「え……私にはそんな耐久力ないよ?」
「大丈夫。昔から作者の耐久力は 7だ。一発では死なん」
それは超人ロックの聖悠紀。いくらねこぽんが元カバだからってそれはないだろう。

 ……がたっ。
「……おう、葵ちゃん、来たか」

 このあとどうなったかは読者のみなさまのご想像におまかせ致します。

更新履歴

 2000/7/29: 間抜け発覚: PS版ではエクストリームは5分3本です。あとがき文体を統一しました。本文が統一されていないのは、藤田君の心の内と地の文の区別がつかないためです(なんとかしなきゃ)。擬音を本文に合わせるように書き換えました。

 2000/9/03: 綾香さんのセリフ手直し。PS版綾香さんの台詞回しをベースにしました。岩男さんエライ。綾香さんの口調、PC版とPS版でちょっと違うんですよ(PC版は「あんた」だけどPS版は「あなた」とか、PS版の方が女の子言葉っぽいとか)。ついでに、コメントとして BGM 指定を入れてみました。ちょっと難しいですね。"サザン・ウインド" 使えないのが痛いところです。ほかにも、セリフ回しや場面の記述をすこしいじってあります。もともとあまり場面記述は入れていないのですが、すこし増やしました。DNML のような形にするなら、今のレベルでは全然不足ですね。SS なんで少なめでもいいかな、と。

 2001/1/31: 言い回し修理。変な文がのこってたの。

 2001/10/22: format変更。